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もとは真言宗梅嶺山夜光寺と称していた。日像上人(日蓮の孫弟子)が住職と論難の末、日蓮宗に改宗させ、薬王寺に改称したと伝えられている。
江戸幕府三代将軍徳川家光の弟、駿河大納言忠長の供養塔や、松山城主蒲生忠知(家康の孫)の正室と息女の墓所があり、徳川・蒲生家と縁が深く、寺紋に三葉葵が用いられるなど格式の高い寺だった。
明治初期の廃仏毀釈により荒廃したが、後に日振、日照が再興に尽力し現山容を整えた。
本堂正面の日蓮坐像は、第十一代将軍家斉の命により幕府が造立、説法形の口を開けた珍しい像です。
宗派:日蓮宗 山号寺号:大乗山薬王寺 建立:永仁元年(1293) 開山:日像上人 |
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上左画像は、松山城主蒲生忠知(家康の孫)の正室と息女の宝筐印塔の墓、上右画像は、駿河大納言徳川忠長の供養塔。 |
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