|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
杉本寺は鎌倉幕府が成立する500年も前の奈良時代(8世紀)に、行基が開いたと伝える鎌倉最古の寺です。行基は奈良の大仏造営への貢献や貧民救済の社会事業などで知られている。
その後、光明皇后の寄進で本堂が建てられたと言われている。本堂の十一面観音像三体は、国または市指定の重要文化財で、うち一体は行基の作とされている。
板東三十三観音霊場の第一番札所で、8月10日の縁日は参拝客で賑わう。十一面杉本観音と書かれた白幡が石段の両側に並んでいる。
宗派…天台宗 山号寺号…大蔵山杉本寺 建立…8世紀 開山…行基 開基…光明皇后
たのみある しるべなりけり 杉本の ちかいはすえの 世にもかわらじ |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
<尾崎迷堂>(明治24年(1891)〜昭和45年(1970)
僧侶で本名を光三郎、法名を暢光という、山口市に生まれ、僧の修業をした後、寺の住職を勤めるかたわら、俳句の道に精進した。特に、この杉本寺の住職時代と、大磯の慶覚院住職の時代がよく知られている。
俳句は高浜虚子が選者を担当した『国民新聞』の投句から始まり、大正4年(1915)に松根東洋城が創刊した『渋柿』の同人となり、その後『あら野』を経て、昭和11年(1936)に『えがら』を創刊して活動し、最後は『ぬなは』を拠点として活躍した。
その作風は高雅繊細で、しかも気魂を持っているといわれる。
迷堂は、大正14年(1925)から昭和17年(1942)まで、この杉本寺の住職を勤めたが、その間、土地の人々と俳句を通じて交流を深めた、昭和45年(1970)3月、住職をしていた大磯の高麗山慶覚院で没した。句集には「弧輪」(昭和16年)、「雨滴」(昭和26年)、「芙渠」(昭和41年)などがある。
「雨滴」の中から、鎌倉に関する句を抄出する。
歳旦 |
初鶏や 谷合奥の 十二所 |
春 荏柄天神社一句 |
古ルの絵は 磴すぐ下の 春田かな |
|
|