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鎌倉五山第一位の臨済宗建長寺派の大本山。鎌倉時代・建長5年(1253)北条時頼が中国の禅僧・大覚禅師(蘭渓道隆・らんけいどうりゅう)を開山として創建した、日本で最初の純禅の大道場です。最盛期には多くの塔頭があったが火災により焼失し、現存する建物は江戸時代以降に再建または移建されたものである建築は、総門・三門・仏殿・法堂・方丈が一直線に連なる中国の禅宗様式にもとづいている。
<総門>
今の総門は、江戸時代、天明3年(1783)に京都・般舟三昧院で建立されたものを昭和15年(1940)に移築したものである。額「巨nR」(大きな福をもたらす寺)は、中国僧、一山一寧(一山国師)禅師(建長寺第十世)の筆です。 |
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<三門>(国重要文化財)
三解脱門の略。空・無相・無作を表しこの三門をくぐることによってあらゆる執着から解き放たれることを意味する。
開山様の言葉に「福山は揮て松関を掩じず無限の清風来たりて未だ已まず」とあり、建長寺はあらゆる人々(修行者)に門を開放している事を表している。楼上には、五百羅漢(修行を完成された人)を安置している。
この建物は江戸時代・安永4年(1775)に万拙碩誼和尚などの努力によって再建された。創建当初は三門後方左右に大座禅堂、大食堂があった。 |
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<仏殿>(国重要文化財)
建長寺の本尊・地蔵菩薩を安置。北条時頼と開山大覚禅師(蘭渓道隆)の衆生済度(最悪の先に最善)の願いが込められている。現在の建物は、創建当初より4代目のものといい、東京・芝「増上寺」にあった徳川2代将軍秀忠夫人(家光の母「お江の方」)の霊屋を建長寺が譲り受けた。仏殿前の庭園の柏槙(びゃくしん)は開山禅師のお手植え、古木は樹齢750年です。
毎月1日・15日の祝聖、23・24日の開山例月忌、釈迦三仏忌、開山忌などの法要がここで行われる。 |
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<法堂>(国重要文化財)
昔は建長寺全体が修行道場であり、僧侶全員がこの法堂(はっとう)に集まって、住持の上堂説法を聞き、修行の眼目とした。388人の僧侶がいた記録がある。現在の道場は、開山堂のある西来庵に移っている。
この建物は江戸時代・文化11年(1814)に再建されたものである。関東最大の法堂で、現在は千手観音を本尊としている。天井の雲龍図は創建750年を記念して、小泉淳作画伯によって描かれた。 |
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<方丈>(龍王殿)
本来は住持が居住するする場所。現在は法要・坐禅・研修の場所として使われている。この建物も、総門と同じく京都・般舟三昧院より昭和15年(1940)に移築した。建物は享保17年(1732)の建立です。 |
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<庭園>(国史跡)
さん碧池(さんぺきいけ)を中心とする庭園は開山大覚禅師(蘭渓道隆)の作庭。創建当時よりある。寺院の池は寺の前にあるのが普通だが、建長寺は最奥に位置する。この池のまわりには当初、得月楼(とくげつろう)・大客殿・方丈などがあり、檀那や貴賓の応接に用いられた。創建750年を記念して平成15年(2003)に大改修をして現在に至っている。
右側の総二階の建物は得月楼と称し、創建750年を記念して平成14年(2002)に建設されたものです。
さん碧池とは、緑の木々の色が青い水にひたって輝いていることを表している。 |
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<唐門> (勅使門・国重要文化財)
唐門とは、屋根が唐破風(反曲した曲線状の破風)になっている門のことで。中国式という意味ではない。元は、崇源院霊屋(現仏殿)の前の門です。 |
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<梵鐘>(国宝)
この鐘は、北条時頼の発願により広く施主をつのり、開山大覚禅師の銘文、関東鋳物師の筆頭である物部重光によって建長7年(1255)に鋳造された。銘文の中に、「建長禅寺」とある。重さは2.7t。 |
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<天下禅林>(てんかぜんりん)
「人材を広く天下に求め育成する禅寺」との意
西の外門(北鎌倉側門)に掲げ我が国最初の禅宗寺院で鎌倉五山第一位の建長寺を象徴する語。
<鎌倉五山>
鎌倉五山とは第一位建長寺・第二位円覚寺・第三位寿福寺・第四位浄智寺・第五位浄妙寺をいう。室町初期には鎌倉・京都それぞれに設置され、足利義満の時代に、五山の上に南禅寺が置かれ、京五山として天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺が設置されている。 |