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正しくは明鏡山円満院星井寺という。天平年間、聖武天皇の御代に行基が、当地の古井戸「星月の井」に明るく輝く明星の光が移るとのうわさを地元民から聴き、井戸をのぞくと中に虚空蔵菩薩の姿が写し現れていた。行基はその姿を仏像に彫り、当地にお堂を建立し安置した。
かの像は、明星の照曜の如き光を放ち、鏡に影の移る如くであった。以後数百年経って幕下の征夷大将軍源頼朝は、この菩薩を崇敬し、この菩薩像を内陣仏の秘仏とし、仏師運慶に外陣仏を作らせた。これが前立尊であるという。秘仏虚空蔵菩薩はわが国では唯三体の木彫の仏像で大変貴重な仏像である。
これに加えてこの御仏は明星と一体で、その分身であり限りない知恵をそなえた御仏で、経典では虚空蔵菩薩は、西方香集世界の教主で娑婆世界の苦難する人々の利益のために無不畏陀羅尼を説くことを、釈迦・敷蔵の二仏に許された御仏せある。即ちその本尊に礼するものは三世十万一切の諸仏を礼することと同じであるといわれる。
又、虚空蔵菩薩を本尊として修業する虚空蔵求聞持法では心を静かにしこの真言を唱えれば天より明星が口に入り、菩薩の威はあらわれて頭脳は明晰となり記憶力は増進するといわれている。
秘仏であるが衆生に縁を結ばせるべきであるとして三十五年一度に開帳し衆生にその姿を拝する事が許された。
近代に至り熱心な信仰者の意に添うようにと毎年正月十三日に開帳し善男善女もその姿を毎年拝することが出来るようになった。正月十三日の初護摩供養には、丑年寅年の人々の本尊として、また、知恵、記憶力を授ける虚空蔵様として地元民をはじめ各地より参詣に集まる。 |
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<舟守地蔵>(虚空蔵堂境内安置)
いつの時代に開眼された地蔵であるか不明であるが往年より海上安全、大漁満足、身宮安泰、海難、水難除け、その他船舶水に関係した一切の事業に従事しておられる人々に大きな功徳を授ける地蔵として、近郷、近在の人々に深く崇敬されている。
また、その昔より願主の心清く精進すれば願い事を数日で成就させていただける有難い地蔵様であるとも言い伝えられている。 |
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<星の井>
この井戸は、鎌倉十井の一つで、星月夜の井、星月の井とも呼ばれている。昔、この井戸の中に昼間も星の影が見えたことから、この名が付いたといわれている。
奈良時代の名僧・行基は、井戸から出てきた光り輝く石を虚空蔵菩薩の化身と思い、お堂を建てて虚空蔵菩薩を祀ったという伝説もある。
井戸の水は清らかで美味だったので、昭和初期まで旅人に飲料水として売られていたそうです。 |