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法隆寺を創建した聖徳太子の尊像を安置する殿堂で、聖徳太子が薨去(こうきょ)されて500年に当たる保安2年(1121)に、僧坊東室の南端三房分が御堂とされ、弘安7年(1284)に建て替えられて現在の姿となった。 |
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聖霊院(しょうりょういん)内陣の奥にある唐破風を付けた厨子は三部屋に区切られ、その中央には、同年に開眼された等身大の聖徳太子像、向かって右側の厨子には、太子の仏教の師である高句麗僧の恵慈法師と太子の弟君にあたる卒末呂王、背後に地蔵菩薩像、向かって左側の厨子には、太子の長子である山背大兄王(やましろのおおえのおう)と太子の弟君にあたる殖栗王(えぐりのおう)、背後に如意輪観音像が祀られている。 |
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