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創建時は『東院縁起』に「七間御経蔵」と記された建物で。聖徳太子ゆかりの品々を保管する蔵であったが、承久元年(1219)の建て替えで改造され、東側三間分を舎利殿、西側三間分を絵殿、中央一間を馬道とした。
舎利殿中央の仏壇上には貞治3年(1364)造立の春日厨子が置かれ、「南無仏舎利」が納められた。この南無仏舎利は、太子が2歳の春に東に向かって合掌し、南無仏と唱えられた時に、その掌中から出現したと伝えられる。毎年1月1日から3日間厳修される舎利講で奉出(ご開帳)される。
また、絵殿には、平安時代の延久元年(1069)に、秦致貞によって聖徳太子の生涯の事蹟が描かれた障子絵が納められていた。
後方には聖霊会の本尊である太子像をお祀りする相殿が設けられ、承久元年の建て替えで現在の姿になった。なお、障子絵は「聖徳太子絵伝」と言われ、明治11年(1878)に皇室に献納され、現在は天明7年(1787)の模写となっている。(鎌倉時代・重要文化財) |
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