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光前寺は、早太郎の伝説で有名な寺です。開祖の本聖上人は、比叡山で修行の後、この地に寺を開いた。以来1100余年の長い経過をたどる。徳川時代には、地方寺院としては破格の60石の寺領と10万石の大名格を与えられている。明治以降は多くの末寺などは廃寺となった。現在、長野県でも屈指の大寺であり、南信州の祈願霊場として広い信仰をあつめている。
境内には樹齢数百年の杉の巨木に囲まれ、境内全域が名勝庭園として国の文化財に指定されている。また、参道の石垣などに光苔が自生している。 |
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<早太郎の伝説>
今よりおよそ700年程前、光前寺に早太郎という強い山犬が飼われていた。
その頃、遠州(静岡県)見付村では、田畑が荒らされないようにと、毎年祭りの日に白羽の矢の立てられた家の娘を、いけにえにとして、神様にささげる人身御供という悲しい習わしがあった。
ある年、村を通りかかった旅の坊様は、神様がそんな悪いことをするはずがない、その正体を見とどけようと、祭りの夜に様子をうかがっていると、大きな怪物が現れ、「信州の早太郎おるまいな、早太郎には知られるな」などと言いながら、娘をさらっていってしまった。坊様は早太郎に助けを求めようとすぐ信州へ向かい、光前寺の早太郎をさがし出すと、早太郎を借りて急いで見付村へと帰った。
次の祭りの日には、早太郎が娘の身代りとなって怪物と戦い、それまで村人を苦しめていた怪物(老ヒヒ)を退治した。早太郎は傷つきながらも光前寺までたどりつくと、和尚さんに怪物退治を知らせるかのように、一声高くほえて息をひきとってしまった。
現在光前寺の本堂の横に、早太郎のお墓がまつられている。また早太郎を借り受けた旅の坊様は、早太郎の供養にと「大般若経」を写経し光前寺に奉納した。この経本は現在でも、光前寺の寺宝として大切に残されている。 |
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