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上登廊、中登廊、下登廊の3つの登廊(のぼりろう)で知られる長谷寺は、真言宗豊山派の総本山。西国三十三観音霊場第八番札所である。石段は339段。
<長谷寺略縁起>
当山は朱鳥元年(786)、天武天皇の御願により道明上人によって創建され、それより約50年の後、徳道上人が聖武天皇の勅願をうけ、楠の霊木をもって十一面観世音菩薩の尊像を造立し大伽藍を建立して祀る。
本尊は身丈三丈三尺(10m余)右手に錫杖を持ち、大盤石の上に立つ姿で、霊験あらたかなことはつとに有名であり、古典文学の代表である源氏物語や枕草子などにも「初瀬詣」として語られている。
花山法皇は当山に深く帰依され、「いくたびも まいる心は はつせ寺 山も誓いも 深き谷川」と一首を詠んでたたえられた。
また長谷漢音の信仰は全国に広まり、分身を奉祀する寺院は鎌倉の長谷寺など百数十ヶ寺を数える。 |
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初夏の牡丹の寺として有名だが、春の桜、梅雨の紫陽花、秋の紅葉など四季おりおりの美しさがある花の寺でもある。万葉集の昔から「隠国の初瀬」として歌枕の地にもなった。
<びんずるさん>(賓頭盧)
釈迦の弟子で、十六羅漢の一人。自身の患部と同じ場所に触れることにより、病気や怪我が完治すると言われ、古来より「なでぼとけ」という愛称で人々に親しまれている。 |
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<本長谷寺>
天武天皇御悩平癒のため朱鳥元年(686)道明上人ここに精舎を建立し、千仏多宝塔銅盤(国宝)を鋳造して祀る。これ長谷寺の草創なるを以て本(もと)長谷寺と称す。
<謡曲「玉鬘」と二本の杉>
第一「登廊」の途中から右へ行くと、謡曲「玉鬘」で詠われた「二本(ふたもと)の杉」がある。
謡曲「玉鬘」は、源氏物語・玉鬘(たまかつら)ノ巻に拠ったもので、初瀬詣の旅僧の前に現れた玉鬘の霊が、長谷寺の「二本の杉」の下へ案内、この杉の下で亡母の侍女・右近とめぐりあった話を述べるという物語になっている。
玉鬘は、光源氏と契り生霊にとりつかれて死んだ夕顔の娘で、故あって筑紫へ身を隠すが、母に会いたい一心で筑紫から舟で大和に至り長谷へ祈願のため来たところ、右近と巡りあい母の死を知るわけである。長谷寺の観音信仰は、そのような願いを示現してくれるというので、王朝時代から盛んだったという。 |