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<秋葉山瑞雲院>
秋葉山瑞雲院の草創は、養老2年(718)に遡り、寺に残る由緒書によれば、「行基、此地行化の辰、此像(聖観世音菩薩)を自彫して茅舎に安置し隋雲寺と自称しき云々」とある。
延徳4年(1492)、飯田山崇信寺(現静岡県森町飯田)第四世賢窓常俊大和尚を開山とし、地頭天野安芸守入道景顕が堂宇を建立して開基となり、寺号を瑞雲院と改め曹洞宗の法幡を高く掲げた。
以来、幾度かの火難に遭遇しているが、寺檀共に協力して堂宇の再建に努め、名実ともに北遠(遠州北部)山家三ヶ寺の名刹として、その法灯は今も輝いている。 |
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<瑞雲院山門>(上画像)
瑞雲院山門は、寛延3年(1750)11月15日、瑞雲院第15世泰山任超和尚によって造立されたものである。
入母屋造、二層建、桟瓦葺、弁柄塗り、一間一戸の楼門で、高さは約9.6m、間口は4.25m、奥行3.6mで、上層に一室をもつ。扉は、間口3m、高さ2.4mで左右に袖塀が付属されている。
北遠地方の曹洞宗寺院では、楼門形式の山門は極めて珍しく、貴重な建造物である境内の諸堂伽藍を背景にした朱塗りの山門は、老杉の翠(みどり)に囲まれて一層美しく、北遠曹洞三ヶ寺の名刹に相応しい姿をみせている。
<瑞雲院鐘楼堂>(下左画像)
瑞雲院鐘楼堂は、棟札墨書によると宝暦2年(1752)に建築されたと記されている。
第15世泰山任超大和尚発願による伽藍整備事業の一環として建造されたものと思われる。袴腰付入母屋造り二階建てである。屋根は桟瓦葺で堂宇は弁柄塗りである。西面袴腰には唐破風造りの逗子をしつらえ逗子内には鳥瑟沙摩明王が祀ってある。
堂内の梵鐘は戦時中は供出された為、昭和31年(1956)瑞雲院第31世大応繁定大和尚によって新鋳されたものである。境内の樹間に建つこの鐘楼は山門の偉容と共に一層、遠州三大名刹の一ケ寺として趣を添えている。 |
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<瑞雲院のイヌマキ>
雌雄異株の常緑高木種。瑞雲院のイヌマキは雌木である。
位牌堂裏から歴住墓地に向かう裏山の斜面にあって周囲の杉の大木と共に成長したせいか樹高がすこぶる高く樹容も極めてスマートである。県内でも珍しいマキの木である。
基幹より5m付近で一部折損しているが樹勢は極めて良好である。
・樹高 23m ・根回り 3.2m ・目通り 2.77m ・枝張り 東西11.2m 南北 12.9m |
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<犬居城主天野氏之墓地>
犬居城主天野氏代々の墓地である。初代天野経顕以来の天野一党の墓碑16基が、今も往時を偲ばせている。
秋葉山瑞雲院は、天正年間、徳川家康の犬居城攻撃の際に兵火に遭い、堂宇ことごとく焼失して以後、現在地に再建されたものであるが、以前は、今の浜松市立犬居幼稚園のある敷地内にあった。
天野氏代々の墓地も、かつてその境内であった会下山の中腹に祀られていたが、昭和29年(1954)、犬居小学校改築工事に伴う敷地造成のため現在地に移され、翌年、当時の犬居町によって現在見られる形に修復された。 |