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南北朝時代、時の皇太子であった木寺宮康仁親王が東国へ下向。当地入野に屋敷(現東墓地付近)を構え、南西に龍雲寺を創建した。親王は、開山にあたり足利義満の指南役であった春屋妙葩(普明国師)を勧請開山として迎え、第二子を第一世とした。また木寺宮家に代々伝わる平安時代作の阿弥陀如来像(指定文化財)を本尊として奉納した。
時は流れ、三方原の戦いの際に、春屋妙葩と武田家菩提寺との縁により武田方の味方をした木寺宮家と龍雲寺は、家康に攻められ本尊と山門以外は焼失する。以後更地であったが、江戸元禄年間に、万牛和尚や鳳髄丹和尚により本堂をはじめ諸堂を再建し現在に至る。
龍雲寺庭園は第一世650年遠忌にあわせ、愛知万博や京都高台寺・建仁寺庭園などで知られ、平成の小堀遠州と称される北山安夫氏により2年の歳月をかけ造園された。 |
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涅槃堂内には、当寺との深い縁によりダウン症の天才書家「金澤翔子」30歳の記念作「世界一大きい般若心経」が奉納されている。臨済宗妙心寺派準別格地。 |
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境内のシダレザクラ。 |
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