写真紀行・旅おりおり トップページへ 写真紀行・旅おりおり : 旅先で撮影した景色、建築、史跡、祭、風物等の写真と動画
 <寺を巡る写真紀行

 印象深い景色
坂道 灯台
横丁・小路
街角 通り
温泉
 史 跡
街道 史跡
遺跡 人物
奥の細道 墓地・終焉地
Play Back 城・城跡
 建築・構造物
歴史的建造物 先端建築
神社
教会
漁港 垣根
防災施設
 自 然
山・峠
池・沼・湿原 海岸
 産業・交通
伝統・地場産業 バスターミナル
自動車・バイク
国内線 道風景
航空機
 四季の景色
棚田 桜紀行
春景色 夏景色
秋景色 冬景色
 歌の舞台・祭・他
歌の舞台 祭・イベント
夜景 テ−マパ−ク
趣味悠々 食紀行
日曜画家  
 管理人
管理人備忘録 四国遍路
リンク集

方広寺 臨済宗方広寺派大本山   静岡県浜松市
方広寺・本堂
方広寺・本堂 方広寺・本堂
 方広寺は末寺170ヵ寺を擁する臨済宗方広寺派の大本山で、井伊家の一族・奥山六郎次郎朝藤(是榮居士)が後醍醐天皇の皇子、無文元選禅師を開山と仰ぎ、建徳2年(1371)の建立した寺。寺名を深奥山方広寺(方廣寺)というのは、開山禅師が悟後の修行をされた中国の天台山にこの地形が似ていたので、そう付けられた。
 開山・無文元選禅師が在世のころは常に五百人の修行僧が参禅弁道していたと寺史に誌されてあり、妙心寺第四代の長老・日峯宗舜禅師もここで開山様について修行の末に見性(最初の悟り)したと記録をとどめている。境内にまつる五百羅漢はその姿を象徴したものである。
 鎮守の”半僧坊大権現”や”椎河龍王”はいずれも開山の遺徳にまつわる縁起によるもので、当山の管長が金糸菊花紋章入りの袈裟を着用するのは開山(皇子禅師)の後継者たる格式による。
 開山が中国各地を参拝して帰国される海上で難破の危機に遇い、半僧坊の力によって海難を免れたという故事に因んで厄除、商売繁盛をはじめ諸願成就の祈願所として全国各地から多くの人々が参詣する。60ヘクタールの境内には、本堂、半僧坊真殿、三重の塔など60余棟の伽藍を擁する古刹です。
方広寺・本堂 方広寺・本堂
方広寺・水戸黄門ゆかりの仏像 方広寺・水戸黄門ゆかりの仏像
本堂
 建徳2年(1371)に建てられた本堂は、数度の山火事による類焼をうけ、現在の本堂は明治38年(1905)長山虎壑管長の発願により大正4年(1915)に完成した。
 本尊釈迦如来、脇侍に文殊・普賢の二菩薩が安置されており、正平9年(1354)に仏師「法橋院遵」「法眼院廣」「法印院吉」の3人によって彫刻された木像で、元禄の頃水戸の徳川光圀(黄門)の命により修繕したと背面に誌されている。もとは茨城郡古内村の清音寺に祀られていたものを明治末に当山に移したと誌されている。
 西側の”勅使玄関”は、当山が皇室ゆかりの寺ゆえに、しばしば勅使の参向を受けており、その際、勅使が出入りした玄関である。平成22年(2010)8月、百年ぶりの大改修工事と耐震工事を行った。
方広寺・山門 方広寺・山門
山門> 
 朱塗りの山門は、足利紫山老師の代に再建されたもので、地形に合わせて小ぶりに造られている。正式には「空」(くう)「無相」(むそう)「無作」(むさ)の三解脱を標幟するので三門という。
 正面の掲額は高松宮宣仁親王の筆、裏の古雲関の額は、足利紫山老師の書かれたものである。  
方広寺・半僧坊大権現 方広寺・半僧坊大権現
境内
半僧坊大権現
 正平5年(1350)中国天台山での修行を終えられた開山は、正法の禅を伝えるため明州を船出、帰国の途についたが、途中東シナ海に大暴風雨がおこり、乗船はいまにも難破しそうになった。
 このとき、眼光炯々(けいけい)たる一偉人が船首に出現し「われ、この船を守り、禅師を護り奉って必ず故国にお届けつかまつらん」といって船師を指揮し、無事に博多の港に着けた。
 後に開山が、この方広寺を創かれたときまた先の偉人が現れ「お弟子にして頂きたい」と懇願、開山が「汝はそのままで半ば僧である。あえて剃髪するに及ばず」とのお許しを得て開山に仕え、末永く当山の鎮守として方広寺を守護されている。それが半僧坊大権現です。毎年10月に御大祭が行われている。
方広寺・勅使門 方広寺・開山堂
方広寺・開山堂「昇り龍」と「降り龍」 方広寺・開山堂「昇り龍」と「降り龍」
勅使門・開山堂
 勅使門の奥に開山堂が建っている・開山無文元選禅師は後醍醐天皇の皇子で延元4年(1339)に天皇が吉野で亡くなるや、翌年、京都建仁寺の普光庵で剃髪、出家し雪村友梅禅師について修行され、さらに3年後に中国に渡り、建寧府高仰山大覚寺の古梅正友禅師のもとで7年間、大変な修行をされて、遂にその印記(印可証明と大戒をうけ正平5年(1350)に帰国した。
 開山はその後、京都・鎌倉をはじめ各地を行脚、僧俗を接化され、建徳2年(1371)奥山是榮居士の請を容れてこの寺の開山となった。開山は、元中7年(1390)閏3月22日、当山で示寂(逝去)された。
 開山の廟を黙霊塔といい、宮内庁の記録に”無文元選王廟”と記されている。光格天皇から”大慈普應禅師”、明治天皇から”聖鑑国師、昭和天皇から”圓明大師”とそれぞれ勅諡されている。
 現在の開山堂は昭和10年(1935)、足利紫山老師が建立したももで、それまでの假開山堂は、いま禅堂として建てかえられ、雲水たちの修行の場になっている。
 開山堂真殿の登り口には「昇り龍」と「降り龍」の彫刻がある。 
方広寺七尊菩薩堂 方広寺七尊菩薩堂
方広寺七尊菩薩堂
 応永8年(1401)建立の棟札を有するこの堂は、県下最古の木造建造物である。七尊の名が示すように富士浅間大菩薩、春日大明神、伊勢大神宮、稲荷大明神、八幡大菩薩、梅宮大明神、北野天満大自在天神の七神を合わせて祀る鎮守堂である。柿葺(こけらぶき)の一間社流れ造りは優美で鎌倉末期の建築様式を今に伝えている。国指定重要文化財。 
方広寺・三重の塔 方広寺・三重の塔
三重の塔
 京都の篤志家山口玄洞氏が寄付、建立したものである。山口氏は大阪でラシャ問屋を営んでいて、第一次世界大戦中に財をなしたが、当時の管長英宗老師の忠告で好景気のうちに商売を手控え、停戦と共にあちこちで倒産者相次ぐなかに独り難を免れ、その後も社業は発展したという。
 そうした故事から、この三重の塔「倒産よけの塔」として、全国の財界人がよくお参りにきている。
方広寺・半僧杉 方広寺・半僧杉
半僧杉
 当地方第一の老杉で、根廻り7.55m、目通り5.75m、樹高43m、枝張り19mで樹勢は良好である。
 明治14年(1881)、三河地方から発生した山火事の折り、ときの住持東明禅師は燃え来たる大火の中で半僧坊神殿に籠り一心に祈願、渦巻く黒煙の中に何処よりともなく鈴の音が鳴り響き、師は柱杖を持って燃え盛る火炎を左右に切りさばく半僧坊の姿を拝した。やがて火事は治まったが、そこには一本の緑ひときわ濃い大杉がそびえていた。この大火に中で、明治11年(1878)8月に再建されたばかりの半僧坊と七尊菩薩堂とこの大杉だけが不思議に焼け残り、以来この杉は方広寺の御神木すなわち”半僧杉”として今日に語り継がれている。
方広寺・五百羅漢 方広寺・五百羅漢
方広寺・五百羅漢 方広寺・五百羅漢
方広寺・五百羅漢
五百羅漢
 羅漢さんは正式には阿羅漢(あらかん)といい、小乗の悟りをきわめた仏弟子のことです。
 宝暦年中(1751〜1763)方広寺輪番だった拙巌和尚が円覚経を提唱しようとして大蔵経をしらべ、羅漢さんがこの世に現存して仏法を護るという内容を読み、また開山圓明大師が中国で修行中、天台山の石橋に茶を献じられたとき、羅漢さんが現れて開山を祝福されたとの故事、更に開山がこの方広寺に住山しておられた頃、五百人の修行僧がここで開山の弟子として参禅していたこと等を象徴して、五百躰を彫刻させ、明和7年(1770)に完成、境内全域におまつりしたもの。
 昔から「五百羅漢のなかには必ず自分に似たお顔がある」といわれている。このユーモラスな姿から自分によく似た羅漢さんを見つけ、対面するのも一興でしょう。
北海道
函館 称名寺 高龍寺
法源寺(松前)
東北
山形 光禅寺 専称寺 国分寺薬師堂
恐山(下北半島) 賽の河原 三途の川 恐山菩提寺の堂宇 極楽浜 奥の院
地獄 水子供養本尊 風車 恐山・点描 白いタオルnew
円蔵寺(柳津) 義経寺(外ヶ浜)
関東
木更津 證誠寺 選擇寺
東京   新宿区 善国寺
中央区 地蔵寺
葛飾区 柴又帝釈天
品川区 海雲寺 天妙国寺 品川寺
荒川区 経王寺 浄光寺 養福寺 浄閑寺
目黒区 目黒不動
豊島区 高岩寺
港区 赤坂不動尊 賢崇寺 泉岳寺 赤坂豊川稲荷
中野区 新井薬師
台東区 浅草寺 浅草寺(夜) 伝法院 源空寺 入谷鬼子母神
観音寺 かっぱ寺 大円寺 清水観音堂 築地本願寺
弁天堂
文京区 伝通院 護国寺 吉祥寺 源覚寺 講安寺
麟祥院 慈眼院 善光寺 昌清寺 霊雲寺
墨田区 回向院
足立区 源長寺
江東区 深川不動堂
中野区 功運寺 新井薬師
調布 深大寺
鎌倉 建長寺 円覚寺 鎌倉大仏 東慶寺 長谷寺
浄妙寺 杉本寺 報国寺 海蔵寺 覚園寺
常栄寺 瑞泉寺 宝戒寺 本覚寺 妙本寺
妙骼 極楽寺 成就院 星の井寺 満福寺
浄智寺 鎌倉半僧坊 薬王寺
藤沢 龍口寺 遊行寺 常光寺 荘厳寺 妙善寺
永勝寺
總持寺(横浜) 成田山新勝寺
甲信越
長野 善光寺 天宗寺
山ノ内 温泉寺 梅翁寺
広拯院(阿智) 光前寺(駒ヶ根) 元善光寺(飯田) 久遠寺(身延)
東海
名古屋 大須観音 高徳院 子守地蔵尊
豊田 廣圓寺 松月寺 西運寺 嶺雲寺
静岡 臨済寺 清見寺
浜松 安寧寺 鴨江寺 瑞雲院 妙恩寺 地蔵院
普済寺 清瀧寺 長栄寺 龍雲寺 東光院
湖北五山(浜松) 龍潭寺@ 龍潭寺A 摩訶耶寺 宝林寺 大福寺
方広寺
磐田 福王寺 大見寺 玄妙寺 慈恩寺 見性寺
袋井 油山寺 可睡斎
湖西 本興寺 蔵法寺 妙立寺 潮見寺
森町 大洞院 全生寺 金剛院
稲沢 善光寺東海別院 祐専寺
西尾 円融寺 華蔵寺 源徳寺 長圓寺
岡崎 大樹寺 大泉寺 妙源寺 隋念寺
新城 大通寺 医王寺
豊川 浄泉寺 正法寺 長福寺 豊川稲荷
多治見 続芳院 永保寺
修禅寺(伊豆) 長誓寺(一宮) 了仙寺(下田) 大御堂寺(美浜) 龍護寺(恵那) 佑泉寺(美濃加茂)
日限地蔵尊(島田)
北陸
高岡大仏(高岡)
近畿
京都 左京区 南禅寺@ 南禅寺A 銀閣寺 寂光院 金地院
鞍馬寺 曼殊院 常林寺 詩仙堂 勝林院
宝泉院 実光院 三千院 金戒光明寺 光雲寺
天授庵 南禅院 永観堂 圓通寺 峰定寺
金福寺 蓮華寺 妙満寺@ 妙満寺A
右京区 化野念仏寺 祇王寺 神護寺 妙心寺 仁和寺
二尊院 龍安寺 西明寺 清涼寺 滝口寺
天龍寺 慈眼堂 常寂光寺 常照皇寺 大覚寺
宝筐院 衡梅院 妙光寺
中京区 本能寺 六角堂 矢田寺 こぬか薬師 行願寺(革堂)
空也堂 正運寺 壬生寺 大福寺 瑞泉寺
善導寺 法雲寺
上京区 相国寺 廬山寺 法輪寺(達磨寺) 妙覚寺 竹林寺
導故寺 大法恩寺 本骼 茶くれん寺 宝鏡寺
妙顕寺 妙蓮寺 大應寺 本法寺 西林寺
雨宝院 石像寺 称念寺 浄福寺 智恵光院
下京区 東本願寺 西本願寺 平等寺 明王院不動寺 光圓寺
仏光寺 北来地蔵菩薩 粟嶋堂 本山興正寺 長円寺
聖光寺
西京区 西芳寺(苔寺) 地蔵院 淨住寺 善峯寺
東山区 方広寺 建仁寺 清水寺 高台寺 八坂庚申堂
六波羅蜜寺 三十三間堂 退耕庵 知恩院 東福寺
泉涌寺 今熊野観音寺 八坂の塔 大雲院 安養寺
東大谷 仲源寺 なすあり地蔵菩薩 六道珍皇寺 烏寺
摩利支尊天堂 興正寺本廟 雪舟寺
北区 大仙院 大徳寺 源光庵 金閣寺 正伝寺
等持院 神光院 常照寺 光悦寺 西方寺
芳春院 閑臥庵 上善寺
南区 東寺
山科区 勧修寺 岩屋寺 極楽寺 瑞光院 毘沙門堂
伏見区 西岸寺
宇治 平等院 恵心院 興聖寺
奈良 唐招提寺 興福寺 東大寺 薬師寺 般若寺
元興寺 十輪院 淨教寺 法徳寺 法華寺
飛鳥 岡寺 橘寺 法然寺 飛鳥寺
法隆寺(斑鳩) 南大門 東大門 西大門 中門 伏蔵
金堂 五重塔 大講堂 鐘楼 廻廊
三経院・西室 西円堂 西円堂の鐘 聖霊院 東室
妻室 綱封蔵 食堂 絵殿・舎利殿 伝法堂
四脚門 東院鐘楼 夢殿 築地塀
近江八幡 瑞龍寺 長命寺
彦根 宗安寺 石山寺
大津 義仲寺 三井寺
京田辺 一休寺 観音寺
木津川 蟹満寺 神童寺 岩船寺 浄瑠璃寺
大山崎 観音寺 宝積寺
赤穂 花岳寺 萬福寺
室生寺(宇陀) 長谷寺(桜井) 善福寺(神戸) 西明寺(甲良) 正法寺(日野) 法善寺(大阪)
地蔵禅院(井出) 延命地蔵尊(米原) 金峯山寺(吉野) 深専寺(湯浅) 神蔵寺(亀岡) 百済寺(東近江)
宝厳寺(竹生島)
中国
尾道 西国寺 天寧寺塔婆 浄土寺 信行寺
山口 龍福寺 瑠璃光寺
永明寺(津和野) 東光寺(下関) 大寧寺(長門) 東光寺(萩) 向月寺(高梁)
四国
円福寺(三好) 高昌寺(内子) 蓮福寺(松山)
九州
興福寺(長崎) 承天寺(福岡)
共通
門前の格言

Copyright(c) 2002-2024 写真紀行 uchiyama.info All Rights Reserved.