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発掘調査によって、伽藍は四天王式伽藍配置であるが、当時の寺院は、南向きのものが多い中、この寺院はめずらしく東向きで、中門・塔・金堂・講堂が一直線に東から西へ並んでいたことが確認された。中でも、塔心礎の柱穴は、心柱の三方に添木を当てる特殊な形式で法隆寺若草伽藍の心礎と似ている。
寺院の創建年代は定かではないが、聖徳太子伝暦によれば太子がこの寺で、勝鬘(しょうまん)経を講ぜられたとき、瑞祥があって、それによって仏堂を建立したとある。太子建立の七ヶ寺の一つと伝えられている。
発掘調査で出土した瓦の文様から、7世紀前半には小規模な堂(金堂?)が建てられ、7世紀後半には大規模な整備がなされたことがわかる。
<黒の駒>
聖徳太子の愛馬で空を駆け、達磨大師の化身といわれる。仏頭山麓の地蔵菩薩の傍らにその姿をとどめ、災難厄除のお守りになっている。 |
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橘寺の名は、垂仁天皇の命により不老不死の果物を取りに行った田道間守(たじまもり)が持ち帰った橘(ミカンの原種)の実を植えたことに由来する。彼は、黒砂糖も持ち帰り、橘と共に薬として用いたので、後に蜜柑・薬・菓子の祖神として崇め祭られるようになった。菓子屋に橘屋の屋号が多く用いられるのは、この縁によるものである。
<二面石>
右善面、左悪面と呼ばれ、我々の心の持ち方を現したもので、飛鳥時代の石造物の一つである。高さ約1mほどの石像で人の心の二面性を表現している。
<五重塔跡>
本坊の門の前に土壇がある。五重塔跡で中心には大きい珍しい形をした心礎があり、直径約90p、深さ10pの柱の入る孔、その円孔の三方に半円形の孔(そえ柱孔)が掘ってあり、現存すれば約38m余りの五重塔が建っていたことになる。 |
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現在の堂は、元治元年(1864)再建したものである。昔は法相宗であったが、江戸中期より天台宗になり比叡山延暦寺の直末で「仏頭山上宮皇院橘寺」という。別名菩提寺とも言われている。本尊は聖徳太子・如意輪観音。橘寺は何回もの火災で、創建当時のものは礎石以外何も残っていないという。 |