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<浄土真宗大谷派 大嶋山萬福寺>
浄土真宗本願寺八世・蓮如上人が西国山陽道の手始めに播磨に布教活動を開始するにあたって府中で活動拠点をえた。その地に上人の弟子を向かわせ布教のために道場を開いた。それぞれの道場には弟子(六人)をおき一寺を開かせて、布教活動を進めることとし、開基した六寺は播磨六坊と呼ばれている。上人の高弟(浄覚、順念、祐全、善祐、空善、誓元)の内誓元が播磨国府中英賀(姫路市)に開基した寺が萬福寺である。
その後、寺地は那波大嶋(相生市)に移り、信長との抗争を避けるように更に西の現在地加里屋(赤穂市)に移った。現在寺には堀部弥兵衛(安兵衛の義父)、矢頭右衛門七、間喜兵衛、大高源吾、不破数右衛門などの遺墨(文書)残され、また、吉良邸討ち入りの年の六月お家再興の望みが消え、討ち入り決定会議の前に決意を新たにした大石内蔵助良雄より萬福寺に奉納金三十両の寄進をうけた赤穂義士ゆかりの寺である。
寺は明治の末に一部を残して焼失し、その後再建された。 |
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