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新宿超高層ビル街の草分け的存在(昭和49年(1974)完成)で、日本の高層ビルでは初めて200mの高さを越えた。無料展望室(51階)、展望レストラン街(48〜52階)の他、ビル内には多くの企業がテナントとして入っている。三角形の独特のフォルムから「三角ビル」とも呼ばる。 |
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<東京水道発祥の地>
首都東京、この大都市の発展のかげには、古くからその生活をささえる水の確保に大変な努力がはらわれてきた。
すでに300年も前の江戸時代初期(1654年)、ふくれあがる江戸の水不足をまかなうため、玉川上水が開かれ、江戸から おおよそ50qも離れた羽村から玉川の水が市中に引かれた。
時は変わって明治となり、首都が東京に移されるや発展する都市に不可欠な近代水道の建設が急務となった。そして、明治23年(1890)、ここ旧東京府南豊島郡淀橋町に34万平方メートルの敷地を求め、玉川上水によって導かれた多摩川の水をここで沈でん・ろ過のうえ、200万人の市民に上水を供給できるという、当時としては、画期的な規模の淀橋浄水場が建設されることとなった。
明治31年(1898)その一部が完成し、神田、日本橋地区へ給水が開始され、ここに東京の近代水道が誕生した。
以後、明治、大正、昭和と東京の歴史とともに歩み続けた淀橋浄水場は、昭和40年(1965)東村山浄水場にバトンを渡し、給水開始以来60数年の歴史を閉じ、その跡地は、新しい東京の象徴ともいうべき超高層ビルの街に生まれ変ることとなった。
ここに展示されているものは、内径1,000ミリメートル蝶型弁といい、かつて淀橋上水場で使用されていたものである。
東京は、今、この超高層ビルの街が象徴するように、ますます発展しようとしている。そして、この大都市が必要とする水も、遠くはるか20qも離れた利根川上流にまで求めている。
ここに展示された蝶型弁から、かつてここに都民の水をかなかうため、満々と水をたたえた浄水場のあったことを、想いおこしていただき、あわせて 大都市における水が
いかに大切なものであり、またその確保が大変困難なものであることをご認識いただれば、はなはだ幸いです。 1974.4 元東京都水道局長 元淀橋浄水場長 小林重一 |
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<恋弁天>
この地は、もともと淀橋浄水場の跡地なので、水に因んで。ビルが完成した昭和48年(1973)に彫刻家・流政之氏製作のポリネシアン風の「弁天様のモダンなモニュメント」が設置された。その後「この弁天様にお参りすると恋が叶う」という噂になり、平成8年(1996)に出雲大社の神官のお祓いを受けて隣りに「出雲大社の社」も作られた。
恋はみづもの 水あれば
心は狂い 花が咲く
その昔より この池は
沼や池 水ゆたかなる里
水をもとめて ひと あつまり
さかえしという
いらい 弁天をおき 水をまつる
ゆえに 新宿の弁天たちは
恋には 水をささぬとの伝え |
つくりびと 流政之
うまれどし 1975年 |
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<出雲大社 恋弁天ことはじめ>
七福神の一人である弁天さま(弁財天)は、古来より水の神様として信仰されている。ここ新宿住友ビルの建つ新宿新都心界隈も、江戸時代には湖沼地帯であったといわれ、明治から昭和にかけては水道局の浄水場が置かれていた。
恋弁天はこうした歴史を記憶に残し、また新宿に集う人々の憩いの泉となるように願いを込めて、昭和48年(1973)新宿住友ビル創業に伴いこの地にモニュメントとして恋弁天は設置された。
その後、いつの頃からか当地を訪ねる人々の間で恋弁天に祈ると恋が叶うとささやかれはじめ、像に願いをかける姿を数多く見かけるようになった。これを受けて去る平成8年(1996)8月15日、ここ恋弁天において、縁結び神様として知られる出雲大社(東京分祓)の神官により「神恩報謝修祓式」を執行、出雲の神々より恋弁天に将来にわたる縁結びの霊験を授かった。これにより恋弁天にお詣りいただくことで、出雲大社に参詣されるのと同じ御利益をお受けできるようになった。
皆様に良縁と幸福の多からんことを、新宿住友ビル一同お祈り申し上げます。 |