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明治32年(1899)に、聖母仏語学校『?瑰塾』(まいかいじゅく)の付属聖堂として建てられ、明治33年(1900)に関口小教区の聖堂となり、やがて大正9年(1920)に東京大司教座聖堂となった。
当時は木造ゴシック式の聖堂で、信者席には畳が敷かれており、履物を脱いでから聖堂に入ることになっていた。その後、昭和になって、中央信者席に椅子が設けられるようになった。
また、明治44年(1911)にはルルドの洞窟がフランス人宣教師ドマンジエル神父により建てられた。
昭和20年(1945)の第二次世界大戦の東京大空襲によって焼失したが、ドイツのケルン教区の支援によって再建設が決定し、故丹下健三氏の設計により、昭和38年(1963)4月に起工、昭和39年(1964)12月8日落成、献堂式が行われた。
意匠 |
丹下健三 都市建築設計研究所 |
構造 |
東京大学 坪井研究室 |
音響 |
東京大学 石井研究室 |
施工 |
大成建設株式会社 |
構造 |
鉄筋コンクリート造HPシェル(双曲抛物面) |
高さ |
大聖堂最高部 39.41m |
鐘塔 |
61.68m |
長さ |
55.5m |
幅 |
40.7m |
床面積 |
3649.9u |
地階 |
1005.5u |
1階 |
2541.4u |
中2階 |
71u |
中3階 |
32u |
工期 |
昭和38年(1963)4月〜昭和39(1964)年12月 |
仕上 |
外装ステンレス・スチール及びアルミサッシ |
8面の双曲抛物面を垂直に近く立てた構造は、一大十字架形を形づくっている。外装のステンレス張りの輝きは、社会や、人の心の暗闇を照らすキリストの光を思わせるものです。
プレキャスト石張りの周壁は、「主はわが岩、わが城、わたしを救うもの」(詩篇18・3)と聖書にあるように、神がすべての人のほんとうの心のよりどころであることを示すものです。大きく手をひろげたようなそのさまは、「すべて労苦して、重荷を負っているいる人たちよ、わたしのもとに来なさい」(マタイ11・28)と招いているかのようです。 |
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<鐘塔>
4つの鐘は、ドイツから輸入されたものだが、制作者は日本各地の鐘の音を研究し、苦心して日本的な音色を出すようにつとめた。鐘の音は、神に向かって祈るように語りかけ、人々をここへ招き寄せる。 |
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<ジョセフィーヌの鐘>
キリスト教が解禁されて間もない1877年、築地に聖堂が完成し、2ちの鐘がフランスから海を渡って運ばれてきた。そのひとつがこの鐘です。「日本近代法の父」と呼ばれるギュスターブ・ボアソナード氏とアンリエット婦人により寄贈され、「アドレード・ジョセフィーヌ」と名付けられた。
2つの鐘は築地教会で二重奏を奏でていたが、ジョセフィーヌは大正9年(1920)の東京大司教座の移転とあわせ関口教会に移された。
第二次世界大戦中、金属として供出されそうになったが、明治憲法記念会からの申し入れにより免れたと言われている。その後も戦災を乗り越え時を告げてきたが、昭和39年(1964)の現大聖堂の献堂により役目を終えた。
もう1つの鐘である「江戸のジャンヌ・ルイーズ」もまた築地教会に保管されている。
<ジョセフィーヌの鐘の歴史>
1873年 |
日本でキリスト教が解禁される |
1877年 |
ボアソナード夫妻により築地教会に寄贈される |
1920年 |
築地教会から関口教会に移される |
第二次世界中 |
金属として供出されそうになるところを、明治憲法記念会からの強い申し入れにより免れる |
1945年 |
空襲によりひびが入る |
1957年 |
信者の協力により原型どおりに改鋳される |
1964年 |
東京カテドラル大聖堂の献堂により役目を終える |
1964〜1994 |
ルルド横の鐘桜に設置される |
2017年 |
献堂50年記念事業として新たな吊台に設置される |
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<ルルドの洞窟>
ルルドはフランスの西南、ピレネー山脈の奥地にある町です。今から凡そそ120年前(1858)キリストの御聖母マリアが、町はずれの洞窟で、ベルナデツタ という少女にお現われになつて、世界の人々の改心のため、また平和のために祈るようにおすすめになった。そして、そのあかしとして、霊泉がわき出で、その水を飲み或はそれに浸つた人たちのうちに、不治の病が完全になおるという奇跡が行われ、今日もなお続いている。
教会は厳正な科学的調査の末、1862年その事実を認め、そこに教会を建てて人々の参詣をゆるした。現今の巡礼期には全世界から一日に7万ないし30万人の参詣者が集まるということです。この洞窟は実物と全く同じ大きさで、明治44年(1911)仏人宣教師ドマンジエル神父が建てたものです。 |
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受けとめるヨゼフ
<カテドラル>
カトリック教会には、教会の行政や指導のための地域的区分があり、これを「教区」と呼ぶ。日本には16の教区があるが、それぞれの責任者である司教(大司教)が儀式の際に着座する椅子をギリシャ語で「カテドラ」という。
伝統的に司教の紋章がついた赤い椅子で、この司教座のある教会を「カテドラル(司教座聖堂)」という。
関口教会は、いわば教区の中心的な教会です。教区全体の行事、集会もここで行われている。(説明文は同教会の案内文を引用) |