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 <垣根を巡る写真紀行

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小石川後楽園の垣根 旧水戸徳川家の庭園   東京都文京区
建仁寺垣
建仁寺垣 建仁寺垣
建仁寺垣
建仁寺垣> 
 京都の建仁寺に由来する竹垣の代表的な一種です。建仁寺で廃物となった板塔婆を利用しこれを立子としてつくった垣根から名付けられとか、昔から多く生じていた竹を割って作ったとか言われているようです。支柱の間にすき間なく並べた割竹の上から太い竹を半割にして押さえ、シュロ縄で結びつけているのが建仁寺垣である。  
沼津垣
沼津垣 沼津垣
沼津垣> 
 沼津垣は、昔から沼津周辺で浜の潮風を防ぐために用いられてきた垣根で、景観的にも、実用的にも優れている。旧沼津御用邸でも多く用いられていたことから、一般に知られるようになった。
 材料は、箱根竹と呼ばれる篠竹を十数本ずつ束ねて、網代(あじろ)編みにしている。この束を「手」といい、どの束も別の二つの束を超えて編んでいるため、この編み方は「二手(ふたて)越し」と呼ばれている。
小石川後楽園 小石川後楽園
 小石川後楽園は、旧水戸徳川家の江戸上屋敷の庭園で、林暴美に富む廻遊式築山、山水庭園である。江戸時代初め、徳川御三家の一つであった水戸家の祖 徳川頼房は、寛永6年(1629)三代将軍家光から与えられたこの邸地に廻遊式庭園を築造した。二代藩主光圀も本園の築庭には力を注ぎ、当時、隣国明の遺臣で我が国に亡命していた朱舜水の意見を用い、今見る様な中国趣味豊かな手法を加味した。
 因みに後楽園の名は、光圀が舜水に命じて選んだもので、宗の范文正の「岳陽楼記」中ー士当先天下之憂而憂 後天下之楽而楽ー((士はまさに)天下の憂いに先じて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ)からとったものである。その後も、たびたびの改修や震、火災で創築時代の壮観さこそ失われたものの逐次手が加えられるなど、幾多の時代の変遷を経て現在に至っている。
 なお本園は、大正12年3月、国の史跡名勝に、また、昭和27年3月、文化財保護法により、特別史跡及び特別名勝に指定された。小石川と冠したのは、大正12年、岡山後楽園と区別するためであった。現在は都立の庭園として公開されている。
 池の水面に東京ドームの姿があたかも逆さ富士の如く写り、都会の公園という感を一層強くする。 
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