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化野念仏寺で見る垣根。柴垣の種類でしょうか。竹林の中を墓地まで続いている。 |
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<化野念仏寺>
寺伝によれば、弘仁年間(810〜824)に空海上人(弘法大師)はこの地に葬られた人々を追善するため、小倉山寄りを金剛界、曼荼羅山寄りを胎蔵界と見立てて千体の石仏を埋め、中間を流れる曼荼羅川の河原に五智如来の石仏を立て、一宇を建立して五智如来寺と称したのが始まりといわれている。当初は真言宗であったが、鎌倉時代の初期に法然上人の常念仏道場となり浄土宗に改められ、念仏寺と呼ばれるようになった。
正徳2年(1712)寂道上人が再建したといわれている本堂には、本尊の阿弥陀如来座像が安
置されている。
兼好法師の徒然草に
あだし野の露消ゆる時なく鳥部山の烟立ちさらでのみ住果つる習ならば如何に物の哀もなからん世は定めなきこそいみじけれ |
としるされ、式子内親王は、
暮るる間も 待つべき世かはあだし野の 松葉の露に嵐たつなり |
と歌い、人の命のはかなさをを詠んでいる。 |
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