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開陽丸は、慶応元年(1865)海軍力の強化に迫られた徳川幕府が、オランダで建造させた当時としては抜群の性能を持った軍艦です。
開陽丸は、鳥羽・伏見の戦いに敗れた徳川慶喜の大坂脱出の活躍する等、倒幕軍にとって脅威の存在になった。
榎本武揚の品川脱出(1868年8月)に際しては、咸臨丸、回天丸ら7艦を率いて脱出、蝦夷地に向かい、箱館戦争の緒戦を有利に進めた。しかし、松前藩の最期の拠点として抵抗する江差を、海上から攻略しようとして暴風雨にあい、江差沖合で座礁、明治元年11月沈没した。
これは榎本軍にとっては大打撃で、翌年新政府軍は津軽海峡を渡って反撃を開始、陸上で激戦を繰り広げたが、榎本軍は五稜郭の戦いで降伏し、箱館戦争に終止符を打った。 |
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