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開陽丸は、江戸幕府が諸外国の海軍に対抗するため、江戸時代末にオランダで造られた軍艦です。
開陽丸は、江戸幕府に引き渡された後に起こった戊辰戦争で活躍したが、明治元年(1868)に北海道江差沖で座礁・沈没した。 |
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昭和50年(1975)から昭和59年(1984)にかけて、水中での発掘調査が行われ、約3万3千点の遺物を引き揚げた。上画像は引き上げの様子、その下の画像は引き揚げられた船体の一部である。
平成2年(1990)実際の開陽丸と同じ大きさで復元した資料館で、大砲・砲弾・船具などの遺物を展示している。 |
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<葵の紋>
この紋は、開陽丸の船体に付けるために江戸幕府から送られてきた「葵の紋章」で、アムステルダムの国立海事博物館に、大君の紋章という添え書きが入れられて保管されている。実際に引き揚げられた紋章は原案と微妙に異なっており、どうやら、ヨーロッパで普及していたハートマークと間違って作成されたようです。
<引き揚げられた石炭>
引き揚げられた石炭の原産地は特定されていない。開陽丸がオランダを出港してから日本の港に到着あうるまでに、次の三ヶ所が確認できる。
1 オランダ(積み込み量は不明)
2 南米・リオデジャネイロで補給 305トン
3 東インド・アンボイナで補給 299トン |