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氷川丸は、日本郵船のシアトル航路の新鋭船として昭和5年(1930)4月三菱重工業横浜造船所で建造された。太平洋戦争中は病院船、戦後は引き揚げ船等として従事の後、我国唯一の外航客船としてシアトル航路に再びデビューした。本船は戦前戦後を通じて248回太平洋を横断している。
昭和36年(1961)5月、横浜開港100年記念事業の一つとしてこの地に係留されて以来、マリンタワーと共に山下公園のそして横浜港のシンボルとして市民に親しまれている。総トン数11,625t、全長163.3m。
なお、このあたりから、伊藤博文、井上馨、大久保利通らがヨーロッパに向けて出発している。 |
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<白灯台>
横浜港山下ふ頭側の内防波堤に明治29年(1896)に設立された。明治38年(1905)、現在の位置に移設されるまで船舶の通行標識をつとめていた灯台です。現在使われている、氷川丸前方に見える赤灯台(横浜港北水堤灯台)とペアーで活躍していた。
<タラップ>
このタラップは、船の乗降時、桟橋と船をつなぐはしごです。潮の干満の差に対しても、桟橋と船の上下の変化に支障なく上下船できるように工夫がされている。
<氷川丸のプロペラ>
氷川丸にはエンジンが2基搭載されているので、プロペラも2基あった。最後の航海を終えた後、係留改装工事に際してプロペラは取り外されたので、現在はないが、就航当時は舵の下に2基ついていた。 |
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