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比叡山の阿闍梨(あじゃり)修行で千日回峰行を終えた行者が、粟田口の尊勝院の元三大師(がんさんだいし)に報告し、京の町に入洛するとき最初に渡る橋であり、行者橋とも阿闍梨橋ともいわれる。また江戸時代、この橋を粟田祭の剣鉾(けんぼこ)が差して渡る「曲渡り(きょくわたり・曲差し)」が呼び物であった。
白川の上に架かる長さ約12m、幅約30pの切板を2列に並べた桁橋で(幅は70p弱か)、脚を開いたような形の2本の石柱からなる橋脚が3ケ所立てられている。写真を見てのとおり手すりも何もない。普段は生活の橋だが、祇園祭ではお稚児さんが渡り、粟田神社のお祭りには氏子達が松明を持って渡る橋でもある。 |
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「一本橋」という名前のほか「行者橋」とも「阿闍梨橋」とも呼ばれているが、本名というか市の管理上の名称は「古川町橋」という。 |
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