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三重県伊賀上野市から京都府木津市へ向かって国道163号を走る。木津川にそって進むとやや大きな赤い橋が目に入ってくる。河原では、大勢の人々がキャンプやバーベキューなどをしている。橋を渡る予定ではなかったが、せっかく来たので渡って対岸に降りる。木津川の上手からカヌーの一団が下ってきた。
<笠置大橋>
現在では人や車が行き交い、笠置の人々も日常生活に欠かせない笠置大橋ですが、明治・大正の頃は木津川にかかる橋はなく、「渡し船」によって対岸へ往来していました。交通の便はもちろん、木津川の水かさが増せばたちまち運行中止となってしまい、人々はたいへん不便な思いをしていました。
この二つの不便を何とかしようと立ち上がったのが、当時の村長、新田尚治氏でした。しかし、簡単に工事は進みません。なぜなら当時最大級クラスの吊り橋をかけるためには、高い土木技術と莫大な資金が必要だったのです。
断崖の作業現場では幾多の難関に立ち阻まれつつ、試行錯誤をくり返しながら工事は進められていきました。彼は資金つくりのために駆け回り、ついには自らの財産をつぎ込み工事費を捻出しました。彼は自らが治める村の発展を信じ、家族が貧困の窮地に追いやられてまでも、全身全霊を打ち込んで橋の設立を目指したのです。彼にとって吊り橋は、まさに「夢の架け橋」だったのです。
大正八年、新田尚治氏の情熱と献身的な努力の甲斐がありついに初代笠置橋が完成しました。橋は今では吊り橋から鉄骨に姿を変えましたが、新田尚治氏の橋にかけた情熱は今も笠置大橋の姿に受け継がれ、人々の暮らしを支えています。(笠置町HPより引用) |
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