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<BRITISH RESIDENCE YOKOHAMA>
日本の開国はペリーの来航に端を発したが、最も中心的な役割を果たしたのは、オールコック駐日総領事を代表とするイギリスの外交団です。
このイギリス館の建つ山手115番は、文久3年に横浜の居留地防衛のため軍隊が駐屯するなど横浜開港直後からイギリスにゆかりの深い土地です。
横浜市イギリス館は、昭和12年(1937)に上海の大英工部総署の設計によって、英国総領事として建築された建物で、広い敷地にゆったりと建てられ、条約開港都市横浜にふさわしい規模と風格を持っている。
建物は、主屋と付属屋とが連結した形で建てられている。主屋は南面して主要な部屋を配し、廊下を北側に設ける配置で、一つの理想的な形態を示している。意匠的には、近代主義を基調とした合理性が見られるが、単にモダニズムの踏襲ではなく、英国調とも言える伝統を加味した穏健重厚な意匠が伺える。この横浜市イギリス館は様式・意匠とも優れた貴重な建物として、平成2年(1990)11月に横浜市指定文化財に指定された。(規模:RC造2階建、地下1階)
<イギリス館の構造>
1階は玄関、ホール、書斎、応接間、サンポーチ、食堂、配膳室、台所があり、中央に階段が設けられていた。2階は寝室や衣装室など私的用途の部屋があった。地下1階は食物の保存並びに避難場所として充分な機能を持っていた。
芝生の張られた庭側、南立面は西側に半円形に張り出したサンポーチを除いて左右対称の造形を見せる。
また主屋に付属して使用人たちのための付属屋が東側に連続して設けられているが、出入口や飲料水の設備を別にして、暖房設備を置かないことで主人と使用人の差がつくられていた。
当館は洋館としては珍しく、コンクリート構造で、建物壁幅平均40pに設計され、全ての材料が上海方面から輸入されたものと考えられる。
<紋章「GRVI1937」>
当時、英国総領事官公邸は地域の重要度に応じて規模が定められ、横浜山手の公邸(横浜市イギリス館)は、その中でも上位に格付けられていた。その証に、建物の北側玄関の左に、1937年ジョージ6世時代を示す「GRVI1937」と刻んだ紋章が残っている。 |
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<丸窓>
元来、イギリスの伝統的な建築工法は組構造であり、当時では必然的にアーチ型の開口部となったが、近代に入ってコンクリート工法が窓の形態に自由に自由を与えた。
船で渡航してきた上海に本拠をもつ設計家が船窓の特徴である丸窓をモチーフに取り入れた事は想像するのに難くない。 |
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イギリス館に隣接して「港の見える丘公園」がある。ここからは横浜ベイブリッジ、横浜港が一望できる。その昔、英国の外交官もここで港を眺めたのだろうか。 |