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<本芳我家住宅> 重要文化財
本芳我家住宅は、製蝋業で栄えた芳我一族の本家で、内子木蝋の基礎を築いた家である。元文元年(1736)から木蝋生産を始めたとされ、天保11年(1840)に現在地に移り、大規模に経営を展開した。
明治期には「旭鶴」の商標で海外にも製品を輸出し隆盛を極めた。文久元年(1861)以降は、分家やその分家が相次ぎ、それぞれ上芳我、中芳我などの通称で呼ばれている。
建物は木蝋生産が最も盛んであった時代を背景に建築され、建物の質が良く、亀甲形の海鼠壁(なまこかべ)や鶴・亀・波などの華麗な漆喰細工など華やかな意匠を内子の町並みの中でも際だった存在である。
主屋南に建った土蔵の鏝絵(こてえ)は本芳我家の紋章「旭鶴」である。主屋の背後には炊事場、産部屋、便所、湯殿が建ち、これら附属の建物や庭園など敷地全体にわたって往時の面影を伝えている。
平成15年(2003)から平成18年(2006)にかけて保存修理工事が行われた。 |
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<大戸・蔀戸>
江戸時代後期の町家に多く見られる正面意匠は「大戸」(おおど)や「蔀戸」(しとみど)です。
「大戸」は中潜り」(なかくぐり)のついた板戸のこと。それを日中は屋内にはね上げ、梁に吊った金具にかけておく。「蔀戸」は上下2枚の板戸で、下側をする上げ、上下2枚一緒に外側へはね上げて金具にかける。
この「大戸」と「蔀戸」を上げることで、道路に面した家の表側を全面的に開放することができ、敷地間口が狭い内子の町家に合った建具といえる。 |
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<弁柄の出格子>
弁柄とは、酸化鉄を原料にした赤色の顔料のこと・本芳我家や上芳我家「に見られる、弁柄で塗られた凝った意匠の格子や骨太の出格子は圧巻です。「格子」は、町家の正面意匠のひとつですが、内子では明治時代に建築されたものに多く見られる。江戸時代末期から明治時代にかけて多発した打ち壊しなどから家屋を守る意味もあったのではないかと言われている。 |
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