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明治28年(1895)11月、元町会所(町年寄詰所)跡地に、高山町長永田吉右衛門は工費4,319円1銭6厘で近世の名工八代・阪下甚吉に託し建築面積500uの高山役場を完成させた。当地「高山見聞録」に、一見して肝潰るるばかりなり、特に屋根瓦、周囲の鉄柵など飛騨国中古来未曾有の物なるべしと評された。
瓦は、三河高浜福井総八郎が明治23年(1890)高山に移住し、下切町で焼いたものを使用している。
建築様式は軒を深くとり、庇は多く出さず、2階の軒高を低く抑えるなど、飛騨の民家の特徴を十分生かし内部については2階会議場の折り曲り格天井など、西洋風の様式を取り入れ、役場としての機能を十分に生かした建物である。高山市伝統的建造物群保存地区内に残る唯一の明治時代に建設された公共建築物である。
現在は、公民館として利用されていたものを、修理、整備し、昭和61年(1986)に市政記念館としてオープンした。明治の高山町から現在の高山市までの行政資料を保存、展示している。 |
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