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この郵便局は、明治8年(1875)開局の歴史をもち、明治30年(1897)には電信事業も兼ねたというこの地方の郵政事業の草分けで、誇り高い局舎でもある。
大正時代にはモダンな出庇に欄間風の彫り物を加え、局舎全体をペンキ塗りにした装いは、大正の役場や交番を加えても、数少ないモダン建築の一つだった。
明治、大正、昭和の風雪に耐え、戦後一般民家になったが、その面影を余すところなく伝えている。二階の彫り物のある手すりもそのまま残っていて、大正生まれの郷愁をさそう。
現在の建築所有者や、郵政省、NTTのご好意によって、さまざまな郵便、電信資料が展示されている。 |
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<郵便創業時代の制服・制帽・かばん・郵便旗>
創業時は、郵便を宣伝する意味もあって帽子、上衣、ズボンにそれぞれ赤じるしがついて、今日見てもなかなか派手なデザインであった。当時では、かなり目立ったものだったらしく、錦絵にもしばしばとりあげられていた。
制服 |
創業時の外務員の衣服。上衣の襟は赤、そでは郵便記章。ズボンの外側縫い目にそって赤線。 |
かばん |
明治7年(1874)頃、小都市で郵便配達用に使っていたかばんで肩掛箱と呼ばれていた。 |
制帽 |
帽子は韮山笠の廃物利用で山の頂点からたてに郵便記章を記した。 |
郵便旗 |
郵便記章は、郵便物運送車の旗にも用いられ、それが明治17年(1884)6月23日の太政官第15号によって線は丸の6分の2で赤色と図示され郵便記章と定められた。 |
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・上左画像:磁石式交換機(明治23年(1890)〜昭和51年(1976))
・上右画像:特殊20回線単式交換機(昭和23年(1948)〜昭和44年(1969)) |
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・上左画像:40回線1号A共電式構内交換機
・上右画像:A形自動式交換機(大正15年(1926・京橋郵便局〜昭和59年(1984)))
<文明開化と電信電話>
「ザンギリ頭を叩いてみれば文明開化の音がする」。文明開化の波は、まずザンギリ頭と、洋装の流行でその幕を開けた。
明治2年 |
公衆電報の取扱開始・日本の電信事業創業
「電信は処女の生血を塗った切支丹ばてれんの邪法」とテレガラフ(天連関理府)への迷信は根強く「伝信機は数時間で通信する至妙の機関なり」との当局の努力にも拘わらず、毎日のように電信線は切られ、その修理に追い回された。 |
明治23年 |
電話交換事務開始・日本の電話事業創業
この頃には迷信も薄らぎ文明開化も急速に進展し、電話は重要な耳となった。 |
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