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この校舎は、明治6年(1873)に歌舞伎舞台と学校とを兼用するように建てられたもので、学校建物としては県下で最も古いものです。
大屋根の棟には建設当時の校名「麻績学校」(おみ)が記されており、昭和59年(1984)までの111年間、学校として活用されていた貴重な建物です。また、農村の歌舞伎舞台としては県下最大級で、全国的にも珍しいものある。
建物の構造は、木造二階建、一部三階建、桟瓦葺入母屋造で、正面一階は歌舞伎舞台、二階は教室として計画された。一階正面には長さ八間の梁を渡し、その左右の太夫座・下座部分には二階の格子窓がある。舞台裏は一階が土間床、二・三階は畳敷きの部屋となっている。
平成9年(1997)に復元整備工事が完了し、建設当初の姿が甦った。(長野県宝)
大石垣(3段目右画像)は、麻績学校第一次校地校舎拡張工事の一環として、明治31年(1898)10月1日完成する。くぬぎの木の生えた傾斜地で子供の遊び場だった所へ、長さ120余mの大石垣ができ麻績学校校舎と合わせた景観の偉容さに人々を感嘆させた。 |
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麻績学校校舎の横に咲く舞台桜。この学校で学び、遊ぶ子どもたちを見守ってきたことでしょう。今は、観光客の感嘆の声で満ちあふれている。 |
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