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西附属邸御殿は、明治時代の木造宮廷建築として、全国的にも数少ない貴重な建築物であるため、可能な限り原型に忠実に改修を行った。
また、西附属邸苑地は、波静かな奥駿河湾に臨み、広大な松林を有することから、こうした自然環境と景観を生かすとともに、歴史的な建造物として調和した庭園づくりを基本としている。
<御殿のあらまし>
旧沼津御用邸の西附属邸は、本邸造営から12年後の明治38年(1905)7月、大正天皇(当時皇太子)の皇子、昭和天皇や秩父宮様、高松宮様などの御用邸として設置された。
この方々は、明治天皇のお孫さんに当たることから、当時は「皇孫殿下」と呼ばれていたため、西附属邸も「皇孫殿下御用邸」と称されていた。
この建物は、もともとは昭和天皇と秩父宮様のご養育に当たった川村純義伯爵の別荘として明治20年(1887)ごろ建てられたものを、伯爵が亡くなった翌年の明治38年(1905)に宮内省が買い上げ、御用邸としたもので、その後数回にわたる増築が行われ、全体面積が1270uの附属邸が完成した。 |
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<西附属邸の特徴>
○謁見所などの公式な部分と御座所などの居住部分が一体となった、大規模な宮廷建築としては全国的にも貴重な事例であり、住宅史の上からも意義の高い建築物である。
○材木は建築当時のものを洗い出し、腐りや傷みのある部分だけを取り替えている。材料の木はスギ、ヒノキのほか、御座所の柱などには四方柾(しほうまさ)のマツを用いている。
○屋根も瓦は、昔の瓦を復元したもので、手焼きにしているため、屋きむらが全くない。また、堅くて水はけがよいという特徴があり、雨上がりの後、水分が蒸発し易いため、木が腐りにくくなって、建物の寿命が延びるといわれる。
○ガラスは建築当時のもに復元するため、ドイツの職人による手作りのもを使用している。このガラスは表面に凸凹があり、窓の外の風景が歪んで見える特徴があり、昔に戻ったような不思議な印象がある。
○御殿の中では、なるべく火気を使わないようにしており、調理室や湯沸かし所は御殿の外れに位置させて、不便でも火事が起きにくいような工夫をしていた。 |
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<家具と調度品>
○当時使われていた家具や備品がよく保存されていて、建物の使われ方も理解し易く、生活の匂いが感じられる。
○謁見所と御食堂では、畳の上にじゅうたんを敷く和洋折衷方式をとっている。
○残されている家具は歴史的にも重要であり、明治の初めに日本の皇室の威厳を示すために作られたもので、謁見所の椅子は、現在でも歌会始など、皇室の主な行事で用いられている。
○謁見所の家具は工芸美術的にも貴重なもので、中でも玉座用肘掛け椅子は、当時の技術の粋を集めて作られた由緒あるものである。
○主な部屋の壁には間似合紙(まにあいし)という植物繊維の中に石の粉を混ぜた特殊な和紙を貼り付けてある。これは火事や虫食いを防ぐため、主な部屋だけに用いられた。
○灯具やシャンデリアは当時のままのものを磨いて使っており、電球は昔どおりにタングステンを用いたものを特別に制作して用いている。
○柱に取り付けられている金具の飾りは、釘隠し(くぎかくし)といい、実用とアクセサリーを兼ねていたと思われる。
(「沼津御用邸記念公園 西附属邸」より引用) |