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山田(現・伊勢市)には明治5年(1870)に郵便役所(明治8年(1875)に郵便局と改名)が、設けられたが、局長の交替や電信事務の導入などに伴って局舎は移転を重ね、明治42年(1909)にこの庁舎が伊勢神宮外宮前の神域正面角地に新築された。
設計者は逓信省の技師白石円治といわれ、L字型平面の角が入口で、公衆溜と呼ばれる円形のホールとなっている。ホールの周囲はカウンターになっており、左の翼部で郵便事務が行われ、右の翼部に電話交換室やレンガ造の切手倉庫などが設けられた。ドーム状の天井にある高窓からは光が入り、明るいホールとなっている。
玄関脇には明治20年代の黒いポストが復元され現在も利用されている。
重要文化財、旧伊勢郵便局舎(宇治山田郵便局舎)
旧所在地:三重県伊勢市岩渕町
建築年 |
明治42年(1909) |
解体年 |
昭和43年(1968) |
移築年 |
昭和44年(1969) |
建築面積 |
182.3坪 |
構造 |
木造平家建銅板葺 |
所有者 |
日本郵政株式会社・郵政資料館 |
(博物館明治村(愛知県犬山市)にて撮影) |
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<豆知識>
正月のしめ縄飾りは、普通松の内(元旦から1月15日まで)が過ぎれば外すのが一般的です。しかし、伊勢市周辺や志摩では、一年間かけたままで過ごす風習がある。
この地域では、「その昔、この地を訪れたスサノオノミコトに、貧しいながらも慈悲深い蘇民将来が一夜の宿を貸した。ミコトは旅立つ時、今後は門符を門口にかけておけば、子孫代々疫病から免れると言い残した」という伝説がある。そのため、蘇民の子孫である証拠として門符を掲げ、不浄なものや邪悪なものから家を守る風習が生まれた。
明治村でも、伊勢市より移築したこの宇治山田郵便局において、一年中しめ縄飾りを飾っている。ここでは「千客万来」と記されているが、この他に「蘇民将来子孫家門」や「笑門」というものもある。 |
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<窓>
宇治山田郵便局舎の窓は、切手倉庫のみ盗難防止用の網入仕様となっており、防火シャッターも下がる仕組みになっている。
その他の建築に付随する窓は、上下3連の回転窓で、正目左右にある角塔は4連の窓が設置されている。公衆溜のドーム型の天井には、円形に採光窓が取り付けられている。 |
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<前島 密>(1835〜1919)
天保6年1月、越後国中頸城郡津有村に生まれる。明治2年、新政府に入り、民部・大蔵・内務の各省を歴任、駅逓頭・駅逓局長・駅逓総官となった。民部省出仕まもなく郵便の官営を建議して採用され、自らその育成にあたった。
その間、外国郵便・郵便為替・郵便貯金を創始した。「郵便」「郵便切手」などの名称は彼の命名によるものです。 |