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帝国ホテルはアメリカ合衆国の著名な建築家フランク・ロイド・ライトが設計した国際的な一流ホテルである。建物内外は幾何学模様に彫刻された大理石や櫛目を入れた煉瓦で装飾されている。
帝国ホテルが完成したのは大正12年(1923)8月であった。9月1日の披露式の当日関東大震災が発生したが、周囲の建物が倒壊炎上する中で、被害は少なかった。
明治村に移築されたのは正面の玄関、ホワイエ、中央ロビー、車寄、前庭の部分である。移築に際しては、柔らかな大谷石など風化の損傷が著しい部材には、使用場所に応じて、新しい建築材料なども併用し、創建当時の外観様式にすることに努めた。登録有形文化財。
旧所在地:東京都千代田区内幸町
建築年 |
大正12年(1923) |
解体年 |
昭和43年(1968) |
移築年 |
昭和60年(1985) |
建築面積 |
276坪 |
構造 |
レンガ型枠鉄筋コンクリート造木造併用 |
寄贈者 |
株式会社 帝国ホテル |
(博物館明治村(愛知県犬山市)にて撮影) |
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<ポーツマス条約締結のテーブル>(中段左画像)
明治38年(1905)9月5日(火曜日)午後3時47分、日本とロシアの使節により日露戦争を終結させる「ポーツマス条約」が調印された講和会議のテーブル。幅1.2m、長さ4.3mあるこのテーブルをはさんで、日本全権小村寿太郎(外務大臣)とロシア全権のウィッテが激しく意見を戦わせた。くるみ材、モーゼス・アンド・サンズ製造。
ポーツマス講和会議は、アメリカ合衆国大統領セオドア・ルーズベルトの斡旋によって、アメリカ東部の港湾都市ポーツマス近郊のポーツマス海軍造船所において行われた。
<貴婦人衣装>(中段右画像)
明治政府は西欧文明を速やかに吸収して欧米人と対等の外交を求めるために努力した。その外交的手段として政府は明治6年(1873)に鹿鳴館という社交クラブを作り外国貴賓接待の場とした。建物はイギリスのコンドルの設計で純粋の洋風建築であった。落成式には西欧の風にならい、夫婦を招待したことにより、女性の洋装が脚光を浴びることになった。
その後明治17年(1884)から明治20年(1887)にいたる欧化主義の風潮の拠点ともなり、この一時期を鹿鳴館時代という。
明治村ではその当時の服装を想定し、パニエを入れシルエットにボリュームをだし、スカートには幾段ものレースのタックを付けるなど鹿鳴館時代の上流夫人のローブ・デコルテ、ローブ・モンタルトなどの洋装を模したオリジナルの貴婦人ドレスを作成した。
<かつての帝国ホテル>(下段画像)
内幸町にあったかつての帝国ホテルの全容。走っている車が時代を感じさせる。帝国ホテルに宿泊した人として、チャールズ・チャップリン(昭和7年(1932)5月14日)や、マリリン・モンロー(夫のジョー・ディマジオ(大リーグのホームラン王)との新婚旅行中)などがあげられる。 |
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