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この建物は、地方裁判所の刑事法廷棟である。裁判所全体は左右対称の厳格な構えのH型であり、その右翼部が明治村に移築された。
明治初期において、上級審は洋風煉瓦造であることが多いのに対して、宮津裁判所は和洋折衷の木造建築である。
司法権独立への動きは明治初期から始まり、明治23年(1890)に裁判所構成法によって司法制度が確立した。宮津裁判所は近代司法制度が確立する中で建造されたといえる。
廷内は明治の刑事法廷での裁判風景を、人形を用いて展示している。
旧所在地:京都府宮津市本町
建築年 |
明治19年(1886) |
解体年 |
昭和44年(1969) |
移築年 |
昭和52年(1977) |
建築面積 |
63.8坪 |
構造 |
木造平屋建 |
寄贈者 |
宮津市 |
(博物館明治村(愛知県犬山市)にて撮影) |
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<白洲から法廷へ>
宮津裁判所法廷は、「天の橋立」のある宮津湾の港市、丹後の要衝宮津の中心地に位置していた。厳しさを秘め、和洋折衷等式で出来た建物、江戸時代の白洲から法廷へと移り変わる新しい裁判所の形でもあった。
日本に近代的な意味での裁判所の発端は明治元年(1868)で、政体書の中で太政官の権力を立法・行政・司法の三権に分離し、司法権を握る刑法官を設けたのを契機として、司法権の独立へと向かうことになった。その後、裁判所の種類や名称に様々な変遷があり、明治23年(1890)フランスの法律を手本とした裁判所構成法の施行により、司法制度はその確立をみた。このような確立期の明治19年(1886)に宮津裁判所は建てられたのです。その法廷の様子も、今も明治村で見ることができる。
先ず裁判には、犯人を発見し検挙するとともに、犯人の行為が犯罪となるか、またどのような刑罰を科すのが適当かを審理する刑事訴訟と、私人間の財産上・身分上の生活関係に関する紛争を法的に解決する民事訴訟がある。ここでは前記の刑事訴訟を扱っており、明治末期の地方裁判所における単独公判の風景を体感することができる。
法定内は上段と下段に分かれており、高い壇上には刑事と検事、書記が座を占め、弁護士と被告人席は下段に置かれている。この位置でも分かるように、当時は検事と弁護士は同等な位置ではなく、その上下が明らかにされていた。そして場面は厳粛な面持ちの検事の朗読風景から成る。机の上に両手をのせ、検事の起訴朗読を聴く判事。立ち上がって起訴状ごしに鋭い眼差しで被告人席を見る検事。その検事の発言を聞きもらすまいと神経をを集中し、記録の筆をただひたすら走らせている書記。そして下段では、老練の弁護士が椅子に腰掛けて、手に弁護資料をとり起訴朗読に耳を傾けている。その全てに気配りしながら、廷丁が直立不動で見守っている。
実際に人形の動作ではないが、悪に判然と立ち向かう心意気や緊張感、また編笠を被った被告人の落胆の様子までもが感じ取れる。 |
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