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笠島の町並みは天然の良港を持つ恵まれた場所に中世において城が築かれ、城下町的な要素を持つ集落として形成された。見通しが効かないよう工夫されたされた道路、通りに面する町屋建築、集落の周辺に配置された寺社など、島々の他の集落には見られない計画的な町づくりが見られる。
このような歴史的景観がよく残っていることから、周囲の丘陵部を含めた約13.1haが国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に選定された。 |
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<町並み道路の特徴>
集落の東にある東山に沿って南北に通る「東小路」(とうしょうじ)、海岸線に平行して弓なりに湾曲する「マッチョ通り」(町通りの転訛(てんか))を主道路とし、東西道路は両端で枡形となり、櫛状に向かって各枝道がある。先端には、山に沿って尾上神社前を通る南北道路があり、南の山に沿う東西道路の「田中小路」(たなかしょうじ)が東小路と結ばれている。
各道路のうちあるものは湾曲し、T字型、食い違いT字型に交わり、一部道幅を変えて見通しがきかないような構成がとられている。なお、海岸線沿いの道路は新設のものです。 |
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<咸臨丸水夫・豊島兵吉の生家跡>
幕末になると様式の艦船を操縦するために、技量の優れた塩飽の水夫が必要になった。万延元年(1860)に日米修好通商条約の批准のため咸臨丸がアメリカへ渡った際、水夫50人のうち35人は塩飽の島民だった。 |
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<建物の特徴>
本瓦葺きのツシ二階建て(中二階)、上階を塗屋とし虫籠窓(むしこまど:町屋の中2階に設けられた窓で、形はいろいろある)や格子窓を設け、下階腰格子付き雨戸構えと出格子を組み合わせた表構えの町屋建築が中心です。ほとんどは平入りで、花崗岩の切石の上に港に背を向けて建ち、道路に面しては切妻屋根、交差点には方入母屋、入母屋屋根の建物が配され、ナマコ壁のある建物や土塀を巡らした農家風の建物も見られる。建物は江戸時代後期から昭和初期ににかけてのものだが、大正頃までは古いツシ二階建ての形式を踏襲して建てられていたようです。 |
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玄関を入るとニワと呼ばれる土間があり、奥には竈神(かまどがみ)を祀る大釜と普段使用するかまどを持つカマバがあり、通りに面した表側にオイエとザシキを並べ、背後にダイドコロとナンドを配した田の字型間取りを基本とする。小屋組は登り梁を使い、建物高さを抑えながらも2階を広く取る工夫が見られる。建物は20坪前後をが平均的で、この敷地割りは江戸時代から変わっていない。(解説文参照) |