|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
<料亭 金勇>国登録有形文化財
能代市は、米代川流域で生産された天然秋田杉の集積地であったことから木都能代として栄えた。金勇は、明治23年(1890)に創業された料亭で各種宴会や会合などに幅広く使われた。
現在の建物は、二代目金谷勇助氏によって昭和12年(1937)に建て替えられたもので、木都能代の象徴とも言える秋田杉の殿堂です。当時の営林署でも後世に残る建物をと、資材の提供に全面的に協力したと言われている。
外観は、屋根の両端に入母屋造りの屋根が重なり合う豪壮な造りで、日本建築の美が凝縮された純木造建築です。一階中広間の天井には、今では入手出来ないと言われる長さ五間の一本の杉から採った中杢天井板五枚が使用され、二階の大広間は杢目板を四畳半に組み合わせた格天井になっている。
当時の建築、設計、材料、技術の集大成であるといわれ、平成10年(1998)10月に国の登録有形文化財として登録され、平成21年(2009)3月に能代市に寄贈された。 |
|
|
|
|
|
<格天井>
舞台を加えると159.5畳にも及ぶ大広間の中で、何と言っても圧巻は「秋田杉全面杢四畳半仕切り格天井」です。
この全面杢は秋田杉立木の根元の方を6尺に玉切りした丸太から採材したもので、根元直径が2m級の丸太が必要です。
木都最盛期の当時でもこれだけの杉丸太を集めるのは並大抵のことではなかった。当時の秋田杉といえば、柾目板が主流で銘木よりも下位に扱われていたが、西田銘木の西田正二社長の努力により、柾目板が銘木まで引き上げられた。
金勇は一足早く秋田杉の板柾目価値を取り入れた建物として実証性の高いものと言える。 (板5枚の正方形で四畳半の大きさになっている。) |
|
|
|
|
|
<花篭>
書院敷きの置物として、当時自ら京都まで出かけて行き探し求めたもので、竹と木の根を編んだ大変珍しいものです。当初は花を生けていたが、今はそのまま置くことで存在感をもって鎮座している。
<床柱>
幅五間半の床の間の床柱は、大空間でも存在感を放つ「いたや楓」を使っている。十和田湖畔から伐りだされたものを当時の毛馬内営林署から入手した。
原木のまま搬入されたものを丹念に磨き上げ、大広間に負けない、どっしりとした存在感が現れている。 |
|
|
|
能代市は、米代川の河口に港町として発達し、物資の集散地として栄えた。中でも注目されたのが秋田杉であった。
明治中期、井坂直幹が、秋田杉の特性を活かすとともに機械製材を導入、秋田木材(株)を創立。多くの製材工場が操業して、木材加工業が発達、能代は、東洋一の「木都」と呼ばれるようになった・
金勇の外観は、7つの入母屋が交差した屋根、広縁の下屋の重なり合いが調和して3層以上の多重層に感じられる重厚な印象を与えている。秋田杉の良材を有効に使用した雄大で優雅な造りは、能代の文化と木材加工技術の粋を伝える木都能代を象徴する歴史的建造物です。
戦時中に軍用施設として徴用された一時期を除き、各種団体の会合、宴会、茶会、商談、冠婚葬祭等に使用され、県内屈指の老舗料亭として親しまれてきた。 |