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石曽根家は、旧東海道沿いで江の島道との分岐点のやや西側になり、名号は「マルイシ」で履物屋(下駄屋)を営んでいた。昭和8年(1933)刊行の『現在の藤沢』によれば、創業者の達次氏は明治11年(1878)鵠沼で生まれ、藤沢の履物屋の老舗・石上の宮澤辰五郎の弟子となり東京・横浜で修行したのち、明治34年(1901)に藤沢に戻って店を開いたとされる。
また同書には「履物業界(中略)、新興気鋭の業者として西に台町の松本屋、中央に仲の町の高倉屋、東に旅篭町の石曽根等ありて、互いにその覇を争うに似たり」ともあり、多くの職人を抱えた藤沢有数の履物屋であった。創業当初は江の島道沿いに店を構えていたが、大正12年(1923)の関東大震災の際、店舗などが境川へ崩落する被害に遭い、震災後に現在地に移転。
大商店の店舗兼住居であったため、規模の大きさや、硝子や貴重な木材を惜しみなく使っている点など通常の民家には見られない特色が多くある。出桁や庇の太い桁など、震災復興期らしい重厚さも見せる。
国の有形文化財(建造物)木造2階建・鉄板葺・建築面積115u・大正13年(1924)建築、昭和42年(1967)改修 |
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