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赤レンガの金森倉庫は、明治40年(1907)頃の建築。レンガを2枚半の厚さに積み上げた外壁、木骨の柱で、函館港の歴史を語り継ぐシンボル的存在であり、時折、テレビ、映画のロケーションの場になっている。
<日本最初の気候測量所跡>
この辺りは、新島襄の海外渡航を助けた福士成豊(日本で最初に西洋型の船を造った続豊治の次男)が明治5年(1872)ブラキストンの機械を譲り受け、日本で最初の気象観測をする
函館気象測量所」を開設した所です。 |
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<函館市元町末広町伝統的建造物群保存地区>
保存地区は、弥生町、大町、末広町、元町および豊川町の各一部で、面積約14.5ヘクタールの範囲です。
函館は、安政6年(1859)に長崎・横浜とともに、我が国最初の開港場として開かれ、以来、外国貿易や北洋漁業の基地として、また、北海道の玄関口として繁栄してきたまちです。
この保存地区は、その中心的な役割を果たしてきたところであり、現在でも、旧外国公館や各宗教施設、洋風の公共施設や煉瓦造の倉庫群、堀割りなどのほか函館独特の上下和洋折衷様式の町家や洋風・和風の住宅等が混在して、異国情緒豊かな町並みを形成している。
函館市では、こうした町並みを、末永く後世に伝え残すため、昭和63年(1988)12月に函館市西部地区歴史的景観条例により「伝統的建造物群保存地区」を定めた。
平成元年(1989)4月には北海道で初めて、国の「重要伝統的建造物群保存地区」として選定を受け、貴重な町並みの保護保存に努めている。(下記はF.S
さんより) |
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赤レンガ倉庫群、いたるところに石造りの建物。大分県豊後竹田出身の渡邉熊四郎が函館にやってきたのが24歳。そして最初に手がけたのが金森洋物店だった。
その後倉庫業を営み・旧金森船具店で輸入雑貨や船具の販売等、数々の事業を営むかたわら函館四天王の一人として創設期の函館に数々の業績を残しました。
明治42年〜43年(1909〜1910)に建てられたこの倉庫は「赤レンガ」の愛称で多くの人に親しまれてきたが、平成6年(1994)にその3分の1を利用してイベントホール、ミュージアム、ショッピングモール、レストラン、ビアホールを擁する一大観光施設、函館ヒストリープラザとしてグランドオープンした。残りの3分の2は、今もまだ現役の倉庫として使われていることは、意外に知られていないかも。 |