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明治28年(1895)遺愛女学校併置の遺愛幼稚園として創立されたが、明治40年(1907)8月の大火で遺愛女学校ともども類焼。現幼稚園園舎は米国篤志家の寄付により大正2年(1913)に建造された。この地は学校法人遺愛学院の発祥の地である。
米国人宣教師 M.C.ハリスは米国メソジスト監督教会より派遣され明治7年(1874)1月26日函館に到着後,付近の子女を集め直ちに日日学校(Day
School)を開いた。これが遺愛学院の濫觴である。ハリスは当時の札幌農学校で,クラーク博士の依頼を受け,佐藤昌介・新渡戸稲造・内村鑑三らに洗礼を授けている。
幾何学的なブラケットを付加し、櫛形ペディメントを見せるポーチ部は、正面をガラス張りとし、両側二方を吹き放している。外壁をピンク色、隅柱・開口部などを白色に仕上げた控えめなスティックスタイルの建物である。
幼稚園と同様に「遺愛女学校」が明治40年(1907)の大火まで 存在していた。大火後、幼稚園は現在地で再建、女学校は明治40年に凾館市杉並町で新築され(開校は41年)、現在宣教師館と学校本館が国指定重要文化財に指定されている。 |
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