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<五藤家安芸屋敷>
五藤家は、江戸時代土佐藩家老として高知城の南に高知屋敷を、また安芸土居にも屋敷を構えた。安芸城のふもと一帯には屋敷や蔵、馬小屋などが幾棟も並び、広い土居屋敷を構えていたが、明治になって全て取り壊された。
明治20〜30年代にかけて、寄棟造りの主屋や離れなどが建てられ、その南面には庭園が作られた。平成20年(2008)に主屋、事務所、離れ、付属屋、納屋、物置、板塀が国の登録有形文化財に登録された。 |
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土居廓中(どいかちゅう)は安芸平野のほぼ中央、安芸川の西岸に位置し、周辺は条里制の遺構がよく残る古代から開けた土地です。
慶長5年(1600)の関ヶ原合戦後、長宗我部氏に代わって土佐へ入った山内一豊は、山間部が多く東西に広い土佐国を治めるため、佐川、宿毛、窪川、本山、安芸の五ヵ所の土居に家老または重臣を置いた。本来、「土居」とは、土手に囲まれた領主屋敷のことを指し、この五ヵ所の土居には、家老屋敷を中心に小規模な城下町が形成された。
その一つ、土居廓中は、安芸土居に置かれた五藤氏の城下町です。城下は、武家地のみで構成され、町人地は2Kmほど南の安芸浦や土居廓中までの街道沿いに形成された。
土居廓中には、武家屋敷が並ぶ町割とともに、江戸時代末期から昭和初期ににかけての建物が残り、狭い通りに沿って石溝や生垣、塀等が連なる武家地特有の歴史的風致を今日に良く伝えている。
昭和49年(1974)に地元住民により結成された「ふるさと土佐土居廓中保存会」が主体的に保存に取り組んできたこの歴史的な町並みは、安芸市土居廓中伝統的建造物群保存地区とされ、平成24年(2012)7月に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。 |
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