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<霊鷲山 宝珠院 鶴林寺>(かくりんじ)
地元の人や遍路からは「お鶴さん」と呼ばれ親しまれているが、「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」と並び称される阿波の難所の一つで、鶴林寺山(標高516.1m)の山頂近くにある。八十八ヶ所で2番目に難所と言われ
「へんろころがし」といわれる急傾斜の山道をどんどん上がったところに寺がある。
寺伝によると延暦17年(798)、桓武天皇の勅願により、弘法大師によって開創された。大師がこの山で修行していたとき、雌雄2羽の白鶴がかわるがわる翼をひろげて老杉のこずえに舞い降り、小さな黄金のお地蔵さんを守護していた。この情景を見て、大師は、近くにあった霊木で高さ90pほどの地蔵菩薩像を彫造、その胎内に5.5pぐらいの黄金の地蔵さんを納めて本尊とし、寺名を鶴林寺にしたといわれる。
また、境内の山容がインドで釈尊が説法をしたと伝えられる霊鷲山に似ていることから、山号は「霊鷲山」と定められた。阿波一帯の寺が兵火に遭遇した「天正の兵火」にも、山頂の難所にあるためか難を免れている。
本尊 |
地蔵菩薩 |
真言 |
おん かかかび さんまえい そわか |
宗派 |
高野山真言宗 |
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本堂 |
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大師堂 |
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境内には6体の地蔵尊と大師の像を納めた六角地蔵堂や、忠霊殿、護摩堂、三重塔などがある。21番札所の太龍寺と向かい合う位置にあり、太龍寺は金剛界道場、そしてこの鶴林寺は胎蔵界道場となっている。 |
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<三重塔>
本堂の右手にある三重塔は文政6年(1823)の江戸末期に再建されたもので、各層は和様、唐様と、それぞれに異なった建築方法を見ることができる。この塔は江戸時代末期における代表的な建築物であり、藩政時代に建って残っている県内ただ一つの三重塔です。 |
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当寺は、「お鶴」「お鶴さん」などと親しまれ、境内には鶴のモニュメントを見ることができる。 |
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<丁石>
丁石(ちょうせき)とは、寺までの距離を示す道しるべの石柱のこと。南北朝時代に建立されたもので、現在では11基残っており、本県最古のもである。一丁は約30mで、昔の鶴林寺への参道を知る貴重な資料です。頭の部分に鉢巻を巻いたような印があるものが特に古いようです。 |