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<竺和山 一乗院 霊山寺>(りょうぜんじ)
縁起によると、聖武天皇の勅願により行基菩薩が霊山寺を開創したとされている。弘仁6年(815)、四国の東北から右廻りへ巡教していた際、弘法大師がこの寺を訪れた。そして、衆生の八十八の煩悩の浄化や心身の救済のため八十八の霊場を開こうと、この地で37日間修法を行った。その時、数多くの僧侶が仏法を説く一老師を取り囲み、熱心に耳を傾けている光景を見たといいう。その光景がインドの霊鷲山で釈迦が説法をしていた情景と似ていたことから、インドの霊山を日本に移すという意味で「竺和山・霊山寺」と名づけた。
このときの念持仏が釈迦誕生仏像です。白鳳時代(645-710)の作で身の丈約14pの小さな銅像です。弘法大師はこれを本尊の前に納め、この寺を第一番札所とした四国八十八ヶ所霊場の開設を祈願した。
かつて霊山寺は阿波三大坊の一つとされ、荘厳な伽藍を誇った。しかし1582年、長宗我部元親によって寺は全焼した。その後、阿波藩主・蜂須賀光隆公によってようやく復興したが、明治24年(1891)の火事で、本堂と多宝塔を除く全ての建物を再び失う。以来、100年の努力で往時の姿となったものの、おおかたが近年建てられた建物です。 |
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<本堂>
本尊の釈迦如来が安置され、天井には龍と宇宙が描かれている。
本尊 |
釈迦如来 |
真言 |
のうまく さんまんだ ぼたなん ばく |
宗派 |
高野山真言宗 |
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<大師堂> |
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<多宝塔・鐘楼>
多宝塔は、応永年間(1394〜1428)に建立された。五智如来が祀られている。 |