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本堂 |
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大師堂 |
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<母養山 宝樹院 恩山寺>(おんざんじ)
寺伝によれば聖武天皇の勅願により行基が開基し、当初は「大日山福生院密厳寺」と号し、女人禁制の道場であった。十九番霊場に向かって下る「花折り坂」という坂から上には、女性が入ることは許されていなかった。
延暦年間(782〜806)になって、弘法大師がこの寺で修行をしていたころ、大師の生母・玉依御前が讃岐から訪ねてきた。だが、寺は女人禁制、大師は仁王門の辺りに護摩壇を築き17日間の修法を行い女人解禁の祈願を成就して母君を迎えることができた。玉依御前は本寺で出家・剃髪しその髪を奉納したことから、「玉依御前の剃髪所」と云われていて空海が自身の像を刻み「我が願いは末世薄福の衆生の難厄を除かん」と誓った言われ、現在の寺名に改めたとされる(母養山
恩山寺)。
天正年間(1573〜1592)に長宗我部元親の兵火によって焼失したが、江戸時代に入って徳島藩主蜂須賀氏の支援を受けて復興、文政年間(1804〜1830)に現在の諸堂が建立された。
境内には玉依御前を祀る小堂がある。女人禁制を解いたことを記念に大師が植樹したと言われる「びらん樹」は、県の天然記念物にもなっており、母君を慕いつくした大師のこころが、今も宿っているような寺です。 |
本尊 |
薬師如来 |
真言 |
おん ころころ せんだり まとうざ そわか |
宗派 |
高野山真言宗 |
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