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<神毫山 大宝院 一宮寺>(いちのみやじ)
一宮寺は、大宝年間(701〜703)に法相宗の祖、義淵僧正が開いたと伝えられている。当時は大宝院と呼ばれ、南都仏教の一つ法相宗の普及をはじめ、行基菩薩、良弁僧正らを輩出。和同年間(708から715)、諸国に一宮寺が建立の際、行基菩薩が堂宇を修復し、神毫山一宮寺に改名された。
大同年間(806〜810)に、弘法大師が四国八十八ヶ所建立の際、一宮寺に訪れて聖観音菩薩を彫造し、その尊像を本尊として安置し、四国第八十三番の霊場として真言宗に改宗した。
その後、天正の兵火により寺は灰燼に帰しましが、中興の祖とされる宥勢大徳によって再興された。江戸時代には、高松藩主により田村神社の別当を解かれている。
この寺の本堂左手には薬師如来が祀られる小さな祠がある。これは「地獄の釜」と呼ばれ、祠に頭を入れると境地が開けるという言い伝えがある。一方、悪いことをしていると頭が抜けなくなると言われている。昔、近所で暮らす意地の悪いおタネばあさんは、「そんなことはない、試してみよう」を頭に入れると、扉が閉まり、ゴーという地獄の釜の音が聞こえ頭は抜けなくなった。怖くなったおタネさんは、今までの悪事を謝った。すると頭はすっと抜けた。それからおタネさんは心を入れ替え、親切になり、元気に長生きしたそうです。
屋根瓦葺きの表門。両脇の仁王尊立像は京都の仏師・赤尾右京の作です。大わらじが奉納されている。わらじには旅の道中安全を祈願する意味がある。
本尊 |
聖観世音菩薩 |
真言 |
おん あろりきゃ そわか |
宗派 |
真言宗御室派 |
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本堂は十方施主により再建され、弘法大師作といわれる聖観音菩薩がある。 |
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「一宮のお大師さん」として親しまれる大師堂。天井一面に先祖供養・家内安全を祈願した吊灯籠が納められている。 |
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鐘楼や手水場などの境内の景観 |
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