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<白牛山 千手院 国分寺>(こくぶんじ)
○創建の縁起
ここは、西暦741年に聖武天皇が護国安民を願って建立された国分寺の一つです。 当初の正式名称は「金光明四天王護国之寺」で、伝説的な奈良時代の僧侶、行基菩薩によって開基された。
この寺の建設は、国家権力と民間の協力による日本初の大規模プロジェクトでした。 聖武天皇が 「国の華」と呼んだこの寺は、国と民の団結の象徴として成し遂げられた。
○弘法大師との関わり
弘法大師空海(幼名: 真魚) は、14歳で上京するまでこの寺にほど近い国府の学校で学んだ。多感な少年時代に、完成して間もない讃岐国分寺の壮大な伽藍を目にしたことが、その後の彼の人生を運命づけたと言っても過言ではない。聖武天皇の護国安民の使命は、
この地で生まれ育ち、後に空海として知られる少年によって引き継がれ、現在に至るまで歴史的使命と法灯を守り続けている。
本尊 |
十一面千手観世音菩薩 |
真言 |
おん ばざら たらま きりく |
宗派 |
真言宗御室派 |
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<本堂>
四国最大級の純木造建築であり、本尊は一木造りの仏像として四国最大です。 さらに、 奈良時代の作と考えられる。四国最古の梵鐘とともに、これら三点が国の重要文化財に指定されている。これらの文化財は、
当寺の歴史と文化的価値の高さを物語っている。 |
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大師堂 |
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奈良時代の創建当時の遺構をよく残した寺で、旧境内の全域が四国で唯一の国の特別史蹟になっている。境内地の中心部には創建当時の本堂の礎石・33個が、山門を入ってすぐ右手には七重の塔の礎石も残り、現存すれば京都・東寺の五重塔を超す大塔だったと推定されている。
「天正の兵火」で堂塔のほとんどを焼失したが、その後、高松藩主・生駒氏や松平氏の庇護を受けた。 |
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