写真紀行・旅おりおり トップページへ 写真紀行・旅おりおり : 旅先で撮影した景色、建築、史跡、祭、風物等の写真と動画
 <横丁や小路を巡る写真紀行

 印象深い景色
坂道 灯台
横丁・小路
街角 通り
温泉
 史 跡
街道 史跡
遺跡 人物
奥の細道 墓地・終焉地
Play Back 城・城跡
 建築・構造物
歴史的建造物 先端建築
神社
教会
漁港 垣根
防災施設
 自 然
山・峠
池・沼・湿原 海岸
 産業・交通
伝統・地場産業 バスターミナル
自動車・バイク
国内線 道風景
航空機
 四季の景色
棚田 桜紀行
春景色 夏景色
秋景色 冬景色
 歌の舞台・祭・他
歌の舞台 祭・イベント
夜景 テ−マパ−ク
趣味悠々 食紀行
日曜画家  
 管理人
管理人備忘録 四国遍路
リンク集

仲見世 浅草寺  東京都台東区
仲見世
仲見世 仲見世
仲見世
 仲見世商店街振興組合HPによる仲見世の歴史は次の通りである。
仲見世の生いたち
 仲見世は日本で最も古い商店街の一つです。徳川家康が江戸幕府を開いてから、江戸の人口が増え、浅草寺への参拝客も一層賑わいましたが、それにつれ、浅草寺境内の掃除の賦役を課せられていた近くの人々に対し、境内や参道上に出店営業の特権が与えられました。これが仲見世の始まりで、元禄、享保(1688〜1735)の頃といわれます。
 江戸時代には、伝法院から仁王門寄りの店を役店(やくだな)と呼び、20件の水茶屋が並び、雷門寄りは平店(ひらみせ)と呼び、玩具、菓子、みやげ品などを売っており、次第に店も増え日本でも一番形の整った門前町へ発展していきました。
 明治維新の政変により、寺社の所領が政府に没収され、浅草寺の境内も東京府の管轄となりましたが、政府は新しく東京に5公園を作り、公園法を制定して以前からの一切の特権が仲見世から取り上げられました。明治18年5月(1885)東京府は仲見世全店の取り払いを命じ、泣き泣き退店した後、煉瓦造りの洋風豊かな新店舗が同年12月に完成、近代仲見世が誕生しました。
仲見世
大正以後の仲見世
文明開化、明治の匂いを留めた赤れんがの仲見世も、大正12年の関東大震災により壊滅し、同14年に現在の鉄筋コンクリート造り、桃山風朱塗りの堂々たる商店街に生まれ変わり、昭和20年の戦災で内部は全部焼失しましたが、仲見世の人々の努力によりいちはやく復興し、昭和60年秋には近代仲見世誕生100周年を記念して、電飾看板の改修、参道敷石の取替工事を行った他、多彩な行事でお祝しました。
 更に、平成元年4月には東京芸術大学平山郁夫教授指導のもと、同グループによって「浅草絵巻」と題し、全店のシャッターに浅草の歳事を描きました。平成4年11月に建物の塗替えや看板類の改修工事「リフレッシュ事業」の完成。2年後の6年10月に東京電力の御協力もあり「電柱撤去地中線化」をも完成させ、スッキリとした仲見世になりました。そして、平成8年12月、浅草で初めて商店街として、通りに「防犯カメラ」を設置し、警察署より感謝状が贈られました。
仲見世 仲見世
仲見世 仲見世
今の仲見世
 今の仲見世には東側に54店、西側に34店、合計88店の店舗があり、長さは約250m、美しい統一電飾看板と四季折々の装飾が石畳に映え、雷門をくぐった海外からのお客さまなどは、みごとな日本的情緒に思わず「ワンダフル」を連発いたします。(HPより)
 日本人の観光客、修学旅行生など老若男女大勢の人々で賑わう仲見世商店街だが、外国人旅行客も多いのがこの仲見世の特徴である。雑踏の中から外国語が聞こえてくる。浅草のもつ雰囲気なのだろうか。 
北海道
函館 どんぶり横丁 函館朝市
札幌 狸小路 二条市場
東北
八戸 れんさ街 みろく横丁new
秋田市民市場
関東
東京(新宿) 四季の路 新宿副都心街路
東京(神楽坂) 本多横丁 見番横丁 かくれんぼ横丁 芸者新路
見返し横丁 見返り横丁 紅小路 成金横丁
毘沙門横丁
東京(台東) 初音横丁 アメ横 仲見世
東京 甘酒横丁 恋文横丁 佃島 江戸小路
黒塀横丁
菓子屋横丁(川越) 田楽辻子のみち(鎌倉)
東海
恵那 うかれ横町 大正路地
湖西 しょうな 寺道
浜松 浜松べんがら横丁 すみれ街道
常滑 ちょうちん横丁 やきもの散歩道
ペリーロード(下田) 水辺の文学碑(三島)
近畿
京都 石塀小路 哲学の道 膏薬辻子
法善寺横丁(大阪)
中国
尾道 石畳小路 うず潮小路
伊勢屋横町 菊屋横町 江戸屋横町
九州
鹿児島 ぐるめ横丁 天文館 維新ふるさとの道
鯉の水辺路(島原)

Copyright(c) 2002-2024 写真紀行 uchiyama.info All Rights Reserved.