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忠別川の上流にあり柱状節理の岩が続く峡谷。旭岳を挟んで層雲峡の反対側に位置する。
<涙岩>
天人閣の正面にそびえる涙岩は絶壁の一枚岩で、湧き出た地下水によって岩肌が濡れていることから、天女が山賊に羽衣をとられたときこの岩の前で泣いたと言い伝えられている。(羽衣伝説より)
<見返りの岩>
涙岩にちかく位置する天高くそびえ立つ一本の岩。天女が天に帰っていくとき、やさしい弓人にお礼を言いながら振り返ったことから、この名が付けられた。(羽衣伝説より)
<天津岩>
天に向かってそびえているように見えることから」、天女の象徴としてこの名が付けられた。この天津岩は天人峡温泉を包むように羽衣の滝まで続いている。
<羽衣伝説>
その昔、天人峡の近くに東川という部落に弓人(ゆみひと)という心の優しい若者がいた。狩りの修行で渓谷沿いを歩いていると泣いている美しい天女に出会った。天女は羽衣を山賊に取られてしまい天の国に帰れなくなっていたのだった。弓人は可哀想な天女の羽衣を山賊から取り返してあげた。天女はお礼に羽衣の舞を踊った。すると今まで細く流れていた滝が羽衣の形をした大きな滝にかわったとさ。 |
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忠別川は雪で覆われ細い流れしか見えない。天人閣の前には氷像が立てられ、厳冬の景観をより引き立たせている。
<大町桂月>
大町桂月が大正15年(1926)、層雲峡より旭岳そして天人峡を縦走し、天人峡の滝を見て絶賛「羽衣の滝」と命名した。 |
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