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鎌倉時代に由比倉沢の海中から網にかかって引き揚げられた「さった地蔵」をこの山上にお祀りしたので、それ以後「さった山」と呼ぶ。上代には岩城山と称し万葉集にも詠まれている。
ここに道が開かれたのは、明暦元年(1655)、朝鮮使節の来朝を迎えるためで、それまでの東海道は、崖下の海岸を波の寄せ退く間合いを見て岩伝いに駆け抜ける「親しらず子しらず」の難所であった。この道は大名行列も通ったので道幅は4m以上あった。畑の奥に今も石積みの跡が見られ、そこまでが江戸時代の道路である。今のように海岸が通れるようになったのは、安政の大地震(1854年)で地盤が隆起し陸地が生じた結果である。
国道1号、東名高速道路、そして東海道本線がぎゅっと一箇所に集まっている。そして遠くに富士山が見える。(残念ながらこの時は霞んでいて見えなかった。)さった峠の「さつ」は薩摩の「薩」、「た」は土偏に「垂」の字をあてる。残念ながら「た」の字を表示できないので、ひらがな表記にしてある。 |
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