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中山道は、江戸時代の初期に東海道・甲州道中・日光道中・奥州道中とともに、いわゆる五街道の一つとして整備された。中山道を別名”木曽街道”というのは、江戸から京都までの69次のうち木曽に11宿あり、しかも険阻な道だったからでしょう。
江戸時代に、京都から江戸の将軍家へ6人の姫君が中山道を通って降嫁しているが、うち2人までが与川道が用いられている。(与川道:野尻宿ー与川ー上の原ー三留野宿の迂回路)享保16年(1731)の伏見宮家王女比宮と、文化元年(1804)の有栖川家王女楽宮がそれです。
本来の中山道である十二兼・三留野宿が鉄道や国道でほとんど破壊されているため、古道がよく残っている与川道を復元整備した。南木曾町における根の上峠から馬籠峠間19.595mの”歴史の道”のほとんどは、江戸時代そのままの景観を伝えており「木曽路はすべて山の中である」ことを体験できる数少ない道の一つとなっている。 |
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