|
|
|
|
|
|
観音崎は三浦半島のほぼ中央東南側の東京湾に突出した岬で、東京都心部から約45q、対岸の房総半島の富津岬との距離は約6qで東京湾で最も幅が狭いところです。
東京湾(浦賀水道)を航行する大型船舶が行き交っている。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
<観音寺跡>
観音崎の地名は、奈良時代の僧行基が船の安全のため十一面観音(船守観音)を海蝕洞穴に納めたことに由来すると伝えられている。
このあたりに観音堂が創建され江戸時代には本殿・般若堂などが建ち並び村民や漁民・船乗りたちの信仰は大変厚いものだった。天正19年(1591)仏崎山観音堂料三石の御朱印をいただいている。
明治13年(1880)陸軍砲台が築造され、翌年観音寺は鴨居の亀崎に移された。鴨居観音寺は昭和61年(1986)の火災により焼失したため、三浦三十三観音としての札所は吉井の真福寺が代行している。 |
|
|
|
|
|
<洞窟の由緒>
聖武天皇の代天平13年(741)の春、行基菩薩は諸国修行の途中ここに来られ、この洞窟に住んでいる大蛇が、漁民や運漕の人々を苦しめているのを聞かれ、大蛇を退治してその霊を、鵜羽山権現として祀られた。この近くの走水神社に日本武尊とその妃弟橘媛命が祀られているが、この洞窟の沖で入水して海を鎮められた弟橘媛命を、十一面観音として刻まれ側に安置されて以来、海上安全人命守護の霊地として信仰されてきた。
時代の変転により荒廃に帰したが、時来たって今日は観光の地として復興されて、再び海上安寧、人命守護、世界平和の祈りがなされている。 |
|
|
|
観音崎の海岸の景観、打ち寄せる穏やかな波。 |