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品川燈台は観音崎、野島埼につぎ明治3年(1870)に点燈された洋式燈台である。わが国が、外国船が安全に航行できるように燈台や航路標識を設けることを規定した改税約書を慶応2年(1866)に受け入れたのに伴い建設された。初期の洋式燈台は外国の技術援助によって造られ、品川燈台はフランス人技師ヴェルニ(F.L.Verny)によって設計され、レンズや金属部をフランスから輸入した。そのため風見の西はフランス語(OUEST)の頭文字をとって”O”で表されている。
観音崎、野島埼燈台が関東大震災により倒壊したため、この燈台は現存するわが国最古の洋式燈台である。重要文化財。
旧所在地:東京都港区品川第二台場
建設年 |
明治3年 |
解体年 |
昭和32年(1957) |
移築年 |
昭和39年(1964) |
高さ |
約9.1m |
構造 |
煉瓦造(現在鉄筋コンクリート造) |
寄贈者 |
東京都 |
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<霧砲>
霧砲は濃霧時に安全に船舶が航行できるようにするための霧信号の装置の一つです。この霧砲は、燈台の光が届きにくい濃霧時に、火薬を爆発させ陸地の存在を知らせたものです。
○旧設置場所:中国大連湾口 南三山島灯台
○設置年:明治38年(1905)
<品川燈台燈塔周壁レンガ材>(横須賀製鉄所製造)
江戸幕府は海防の必要性を感じ、フランス人技師ヴェルニ(F.L.Verny)を招いて横浜製鉄所を設立し、引き続き慶応元年(1865)に、横須賀製鉄所の建設工事に着工した。横須賀製鉄所は慶応4年(1868)に明治政府の直轄となり、明治4年(1871)ドックが竣工すると名称を横須賀造船所と変更し、翌明治5年(1872)に海軍省に移管された。レンガの表面に「ヨコスカ製精錬所」という刻印が打たれている。 |
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