|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
明治維新を2年後にひかえた慶応2年(1866)5月、幕府は、イギリス、フランス、アメリカ、オランダとの間に改税約定を結んだ。その第11条に灯明台を備えなければならないことがうたってある。また、各国が提出した灯明台箇所書には、相模国三浦郡三崎及び観音崎が示されてあった。
幕府が倒れ、明治元年(1868)となったが、8月30日に灯台の建設が始められた。横須賀製鉄所首長であったフランス人技師、フランソワ・レオンズ・ヴェルニーが建設を担当することになった。横須賀製鉄所で作られたレンガと石灰を使い四角形白塗装の建物とフランス製レンズを備えた灯台が、12月29日に完成した。(起工は11月1日、この日が灯台記念日になっている)そして、翌明治2年(1869)1月1日に我が国最初の洋式灯台が光を発した。
大正12年(1923)6月26日に先源として白熱電灯が用いられるまでは、菜種や落花生の油、パラフィン、石油などが燃料に用いられてきた。
その初代灯台は、大正11年(1922)4月26日の地震により大亀裂を生じた。翌年3月5日に2代目の灯台が改築されたが、5ヶ月を経た9月1日の関東大震災で崩壊してしまった。現在の灯台は、大正14年(1925)6月1日に完成した3代目のものです。(コンクリート造) |
位置 |
北緯 35度15分22秒、 東経139度44分43秒 |
光り方 |
15秒毎に白光を2閃光(群閃白光) |
光の強さ |
77,000カンデラ |
光達距離 |
19.0海里(約35q) |
高さ |
地上から灯火まで 15m 水面上から灯火まで 約56m |
塗色構造 |
白色 塔形 |
|
|
|
|
|
|
<灯ろう>
灯台の頂部には、レンズ、電球があり、定められた光(灯質)を発光しているが、このレンズ、電球を風雨から守る部分を灯ろうという。
この灯ろうは、平成2年(1990)11月まで神湊灯台(東京都八丈島神湊港)に使用されていたものです。中のレンズは、6等不動フレネルレンズです。
<霧信号吹鳴器>
霧や雪により視界が不良になった場合に音を発して付近を航行する船舶に音の出る位置を知らせる施設を「霧信号所」という。
この吹鳴器は、平成4年(1992)4月まで観音埼霧信号所に使用されたモーターサイレンで15秒毎に5秒間の音を発していた。 |
|
|
|
|
|
昭和23年(1948)秋、高浜虚子が観音埼を訪れ、緑の岬角に屹然(きつぜん)と立つ、白亜の雄姿と灯台に勤める職員が困難とたたかう姿を詠まれていう。この年、海上保安庁が創設され、灯台80周年記念式典が挙行された年でもある。
|