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旧外国人居留地と日本人街を区分する街路で、慶応2年(1866)の大火災後に防火帯を兼ねて計画・整備された日本における近代街路の発祥地である。当初は12mの中央車道の左右に3mの歩道と9mの植樹帯が設けられていた。
設計者ブラントンは、横浜公園や旧居留地下水道など横浜の都市基盤整備に主導的な役割をはたしたイギリス人技術者である。沿道には、神奈川県庁本庁舎、旧英国総領事館、旧横浜商工奨励館、旧横浜地方裁判所、三井物産横浜ビルといった歴史的建造物が集積し、横浜でも有数の歴史的景観を形成している。所在地:中区日本大通。構造・規模:幅員36m。 |
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